実は、21日に引越しをする。今の家は、オフィスの二軒先だし、チワワもいるので、よかったのだけど、水が常に不足することと、治安面で気になること、などを理由に家を出ることに決めた。
今度は一人暮らしだ。先輩が前に住んでいた家なので、あまり不安はない。停電した時は電気がない、これは前の家と一緒だけど、水はタンクが機能しているし、大家さんが気を使って水を分配してくれるので、困ることはなさそうだ。一階にはコルマドもあるし、市街にも歩いていけるので、便利。
新しい生活、とても楽しみ。

今日は、ハラバコアの農務省オフィスのフィエスタに参加した。会場は、サルトヒメノアというドミニカを代表する滝の近くにある、環境省の研修センター。
開始時刻30分後に着いたにも関わらず、誰もおらず。まあ慣れっこだけど。
しばらく、松、アカシアなど樹木の苗床をみせてもらったりしていた。それでも、誰もこない。敷地内の森林を散歩して自然農薬の材料になりそうな草花を探したり、小石ひとつなく、海のように、さらさらした砂の川で水につかったり、結局ぼちぼち集まってきた人たちと遠足のように、はしゃいでサルトヒメノアのつり橋を渡ったり、フィエスタにきたにも関わらず、自然を大いに満喫した。
結局2時間遅れでフィエスタはスタート。クリスマス仕込のバチャータ、メレンゲが流れ、一組、二組と、踊り始めた。でも、テクニコの人たち恥ずかしがりやだそうで、踊ろうとしない。人には「踊れ」というくせに。みんなが踊らない中で、踊るなんて、ますます恥ずかしいことだ。
お待ちかねのごはん。豚の丸焼き、鳥の炭焼き、モロ(ドミニカ赤飯)、ゆでキャッサバ、ゆでバナナ(バナナといえども、甘くない種類)、アボガドがど~ん、と並べられた。農務省、ということもあり、作物、家畜を生み出した大地に感謝をこめて、みんなでイタダキマス。実は豚の丸焼き、初めて食べたんだけど、香ばしい皮と噛み切れるか否か瀬戸際な状態に柔らかい肉の部分の味わい深いこと!クリスマスの料理なので、あまり普段は食べれない貴重な料理だ。
ハラバコアのフィエスタは手作り感あふれる、とても素敵なフィエスタだった。
家庭の味あり、歌のうまいテクニコのリサイタルあり、言葉遊びゲームあり、ととても楽しい一日だった。
朝、ハラバコアにいくときに、前から気になっていた屋台に顔を出してみた。
ラベガのハラバコア行きのグアグア乗り場の正面にある、プラタノフリトー、揚げサラミ、フライドチキンの屋台。いつも人だかりがでて、いい匂いがしているので、「きっと美味しいに違いない」と思ってたんだけど、勇気がでなくて行けずじまいだった。
でも、今日は朝ごはんを抜いてぺこぺこだったので、並んでみた。頼むタイミングをつかめずに待ってたら、()試食してみろって屋台のおじさんが、揚げたてのプラタノフリートを皿に入れてくれた。つぶしたプラタノ(料理用バナナ)をいったん揚げて、唐辛子、オレガノ、塩などで味付けをしたソースにからめたプラタノフリートは実に味わい深く、今までのプラタノフリートの常識を覆すものであった。
今日は、私の配属先IDIAF(ドミニカ農牧林研究庁)のフィエスタが首都近郊のサンクリストバルであった。ここの機関は、もともと農務省の一部だったのだが、より政治性を排除し、また効率性を求めるという目的のもとに、農務省から独立して、今にいたる。日本でいえば、農業試験場のような存在。でも政府機関にも関わらず、給料が高く、職員は日本人並みに、もしくはそれ以上にワーカホリックに働いている。評価システムもちゃんとしていて、例えば、一年間に何本の論文を発表したか、勤務態度など、何十もの人事評価基準があるらしく、それによって給料も変わる。それはなぜか隊員にも適応され、評価をされている、という噂。
このフィエスタでは、人事評価の高かった人物が皆の前で表彰される。賞によっては、給料の50%を上乗せ、というものもあり、皆の仕事へのモチベーションの高さも、なんとなく納得。
みんな切り替えがうまいのか、いつもの顔と全然違う。女性達はここぞとばかりに着飾り、まさに『美の競艶』。肩パッドが入って女王の貫禄を放っていた掃除のおばさん、超ミニスカワンピの広報の女の子、給料の四分の一を使ってまでサロンにいった受付のお姉さん。。。前日とのギャップがありすぎて、こわい。
男性陣も、ドミニカ人の血が騒ぎ出すのか、バスの道中、「俺たちは、今日一日は、独身だ~!」って叫んでたり、帰りのバスも興奮さめやまず、男子校の遠足のよう。下ネタ大合戦。うるさくて、ねむれなく、大変だった。

朝から、ハラバコアの商工会議所のディレクトールとの会合。台湾ミッションの援助で、普及予定の竹の農業用ハウスで、有機農業を導入し、近隣の農家に研修コースをやりたい、とのこと。私には決定権がないけれど、小規模農家でも無理なくできる竹のハウスは魅力的だし、より多くの人に有機農業を実践してもらいたいので、()ぜひ協力しようじゃないかという話になった。
会合の後、近所の中国系二世のアントニオ・チョンさんの屋上菜園をみせてもらった。いつも、一言話すたびに、「ワッハッハー」と笑う、とても明るい気さくなおじさんだ。
屋上には、カミオネータの荷台部分、ドラム缶などに、ほうれん草、パクチョイ、ネギ、レタスなどがところ狭しと植えられていた。有機肥料しか使用していないそうで、葉が青々として、美味しそうだった。
病虫害対策はどうしてるの?って気になったので聞いたら、「小鳥がやってきて、芋虫とか、全部食べていっちゃうんだよ~、ワッハッハー」って。本当に小鳥だけで防げるのか、と思うほど、虫食いも、病害もほとんど見られない。
今日は、リモナルの実験圃場用地で土壌調査のためのサンプルを採集した。まず、生い茂る雑草を刈り、①地面から20cm掘った後、シャベルにとった土の真ん中20%位の部分を切って、採取し、②地面から40cm掘ったところの土も同様に行う。これと同じことを10箇所以上行う、とても地道な作業だ。
終わった後は、圃場の主、ポルフィリオさんちでコーヒーとオレンジをいただく。
私、日本にいるときコーヒーって、香りだけ好きで、飲むことはほとんどなかったんだけど、ドミニカの、しかもここのは、やはり産地だけあって、香りも味もよく、気に入って飲んでいる。
うちの担当地域は、リモナルということもあって、リモン(レモン)、オレンジなど柑橘系の生産が盛ん。農家じゃない人も庭先に必ずといっていいほど、木がある。特にポルフィリオさんちのオレンジは、甘くって粒もぎっしりしてて、とってもおいしい。なので、いつも「オレンジ食べてけ」と言われると、食べたいので、一切遠慮しない。
いつもの思いつき的ちょっ旅。
今回は、北部地方の牧畜が盛んな街、サルセドへ。
以前から、「次のちょっ旅はサルセドだ」と思っていたので、待ってました、という感じだ。
郊外の博物館、『Hermanas de mirabal』というところを訪ねた。戦後ドミニカ共和国
を支配した独裁者、トゥルヒージョの暗殺計画の中心となった3姉妹の物語が、当時使用していた道具、写真、などとともに語られている。
写真で見る限り、実にエレガントな三人。しかし、暗殺時に流れた血を拭った
ハンカチ、秘密結社の時に来た真っ黒なドレスなどの展示を見るにつれてより生生しく、というか、リアリティを持って『革命の女達』としての人生を考えるようになった。

我が家のチワワに二匹の赤ちゃんが生まれた。お母さんはティリー(通称モチっ子)、お父さんは、同じく我が家のスクービー(通称いなり)。すごく内輪な夫婦だ。赤ちゃん達は手のひらを伸ばした位の大きさしかなく、ほんとうにちっちゃくて触ったら壊れてしまいそうだ。お母さんのお腹から出た赤ちゃんは寒さで凍えていた。フアナおばさんがランプをつけたり、毛布にくるんだりして暖めてくれているが、ミルクも全然受け付けないので、ちゃんと生きてくれるか、心配。
難産だったようで、モチっ子は赤ちゃんを産んだ後、亡くなった。モチっ子はいつも、私に噛み付いたり、吼えたり、私の部屋の前でう○ちしたりしていたけど、彼女のことを思うと、とてもせつなく感じてしまう。もう、私に吠え付ける子はいなくなってしまったのだ。。。。


午前中、ハラバコアのサブゾーンで働く12エリアのテクニコ達につどってもらい、プロジェクトの説明、協力要請を行った。今まで1エリアの中の1コミュニティーに活動が限られていたが、今後は普及の対象となる普及員、生産者の数をふやしていきたい。そして、異なるエリア同士の情報交換も行いたい、このことから、まず12地域それぞれを訪問したい旨を伝えた。各エリアの地形条件、農業事情、生活状況を知り、また各普及員の働きぶりをチェックするにはとてもよい機会だ。
さっそく午後、パソバヒートというエリアのラ・ハグアという村を担当テクニコと一緒に回った。彼は前、アメリカの援助機関の有機農業プロジェクトに関わったこともあり、自身も現在大学の有機農業コースに通っているとてもモチベーションの高いテクニコだ。ラ・ハグアは標高1000m位、川をバイクで渡らなければいけないような、山に閉ざされた過疎化した地域である。農業以外生計を立てる手段がなく、細々とした生活を行っているが、山の斜面をうまく利用し、ブロッコリー、きゅうりなどの野菜を栽培している。物質的な豊かさはみられないが、澄んだ川、多様な樹木、家畜、、、村は天然資源に富んでいる。有機農業を通した、資源の有効利用、この点を強化していきたい。ドミニカにきて、はまったお菓子コーナー①
● アレパ
別名、トルタ・デ・マイス。トウモロコシの粉、牛乳、卵、などを混ぜて焼いた家庭風味のケーキ。塩味と砂糖味がある。外側はちょっと香ばしく、しかし中はしっとり。口に含んだとたん、トウモロコシの甘みが口に広がる。
日本でいうみそのように、ドミニカの家庭にはなくてはならないもの、これがうまく作れないと、嫁にいけないともいわれている。(らしい)中でもハラバコアにいく途中の、バジャカネスという村はアレパが名物である。道なりに、アレパを売る屋台がでて、まさに、アレパ街道。他のも売ればいいのに皆が皆アレパ売ってる。でも、店によって自慢があって、ココナッツのサクサクを入れたもの、シナモンを利かせたものなどなど、差別化もはかっているようだ。
モカ観光。ドミニカ共和国が舞台のホラー映画『Andrea』の舞台になった、大聖堂が目を惹くかわいい街。この地にはかつてヨーロッパ系の人々が入植していたため、肌が白い人が多い。モカーナ(モカ出身の女の子という意)はこの国では美人の代名詞、ブランドである。
今回初めてミサに参加した。時間にしたら30分位。パドレのありがたいお話をかしこみかしこみ聞いていた。当たり前だけど、教会に入る前と、立ち去る時、皆胸の前でお祈り(三角形を描くようなやつ)をしていたのに気付いた。これって、剣道の道場に入るときと去るときに礼するのと同じだな、なんてことを考えてしまった。
街自体、おちついていて、でもさりげない個性があって町歩きに楽しいところだ。それに、モカの人達はとてもしんせつ。おきにいりの雑貨やさんもみつけた。おばあさんがやってるなんでも屋。きちんと整理されてるんだけど、よく探すと掘り出しものがいっぱい。今日買ったのは、キャッサバやココナッツなどをすりおろす道具。表は普通のアルミなんだけど、裏を見たら、プレジデンテビールのマークが。なんと、ビールの栓を型抜く前の板を工場からもらってきて、すりおろし道具や箱などの雑貨に加工してるそう。なにげないんだけど、すごくかわいい。
かなりショック。今日、朝いつものように、ハラバコアにいこうと、ラベガのグアグア乗り場にいった。そしたら、グアグアはもう今にもでようとしてるとこだった。普通グアグアは乗客でいっぱいになったらでるのだけど、私はハラバコアに一刻も早く行きたかったんで、『セニョール、soy flaquita(やせてる)から、乗せてよ』って言ったら、すかさず、『No!』と叫び、そのままグアグアはいってしまった。
置き去りにされたのももちろんショックだったけど、『やせてる』っていったのを否定されたような気がして、なんか後味が悪かった。
最近、パソコンといたちごっこしている。今使ってるパソコン、前からそうだったけど、キーボード認識機能がいかれてる。私が何か文字を打ち込もうとすると、パソコンは1やAなどの文字を自動的に打ってくる。あたかも、そばに幽霊がいて、いたずらしているかのように。私と彼女(もしくは彼)どっちが早く打てるか、の勝負。おかげでタイピングスピードはかなりきたえられた。でも油断してると、ワード文書一面全部1111111・・・ってかんじになる。日本語でやめろとかいっても効かないので、スペイン語や英語で吼えてみたが、意味なし。夜中に報告書やってるときとか、これはパソコンのせいなのか、幽霊のせいなのか、考えてどうしょもなくなるときがある。
今日は、他の地区担当の先輩が主婦グループを対象に自然農薬講習会をやるというので、参加させてもらった。材料はニン、タバコ、唐辛子、にんにく、酢、マリーゴールドなど身近に入手できるもの。大規模ではないけど、皆庭先に何かしらプラタノやら花やらが植わっているので、手軽にできる病虫害対策として受け入れやすいのでは。
特にニン(インドセンダン、日本ではニームという)は、街路樹を見渡せば見つかるありふれたものなのに、その効用は幅広く、害虫を寄せ付けなくする効果があるとともに、人間の美容と健康にも効果がある。
これで思いついたのが、『ニンを使った廃油せっけんづくり』の普及。古くなったフライ油や機械油を使って、ニンの実、もしくは葉を細かく砕いたものを混ぜてせっけんを作る。
まず、今まで垂れ流しだった廃油をリサイクルできるということ、そしてニンの美容効果、つまり肌をすべすべに保つことができること、またニンの防虫効果、蚊などの虫を避けることができること、またそのせっけんを売ることができたら、所得向上にもつながる、などいろんな可能性が考えられる。
ドミニカにきてから、機械運がない。パソコンは液晶が壊れて使えなくなってしまったし、最近、デジカメも電源はつくんだけど、一瞬で消えるようになり、故障。そして、携帯電話もすぐ電源が落ちるし、電話を閉じていると、人から電話がかかってきたときにとることができない。日々の管理は気をつけているつもりだし、特段落としたりしたわけでもない。この国特有で、充電時に停電によく遭遇するので、そのせいで壊れるとも考えられるが、それにしても、私ことごとく攻撃されている。
別になくても死ぬわけじゃないけど、たとえ途上国で生活してるといっても、日々の仕事のレポートを書いたり、データを記録・保存したり、この仕事が滞るとけっこう困ることが多い。アーイサンティッシモ。
昨夜のカンペーがたたって、結局昨日のうちにはラベガに帰れず、ボナオの事務所で一夜を過ごした。朝起きて、のそのそと円卓の部屋にいったら、台湾のニュースが台湾の宇宙飛行士の様子を伝えていた。朝から、とても元気なアナウンサーだ。
テレビに気を取られている間に、朝ごはんが用意されていた。ふわふわおかゆと付け合せのメンマ、薬味、そして、台湾風玉子焼き。ただただ感動するばかりだった。ほっとする朝食とはこういうものだった、忘れかけていた暖かいものを思い出した気がした。そして何よりも、いやな顔ひとつせずに、「ここは、もうあなたの家なんだから、ゆっくりしなさいよ」と家族のように接してくれた台湾の人々の心遣いがとても嬉しかった。
夕方、思いつき的に、郷愁を誘う田園地帯、ボナオを訪れた。台湾ミッションのおじさんに純粋にただあいさつをしようと思い、事務所をたずねた。そしたらどこからともなく餃子のにおいが。。。そこでは、新しいミッションの人を歓迎する宴会がすでに始まっていた。私たちもおじさんたちの好意とまばゆく光る台湾料理を前に帰るに帰れず、竹でできた円卓を囲んで乾杯(カンペー)スタート。
『乾杯』-このフレーズは日本人はなにげなく用いるが、台湾では、乾杯は、杯を乾すこと、つまりグラスを空にする、ということを指す。最初はビールで乾杯していたのだが、しまいには、米酒まででてきて、半ばなみだ目に。台湾の人、強いの何の。ただものじゃない。そういえばご近所さん、宮古の島んちゅも強かったっけ。。。
これだけでは終わらない。台湾人VS日本人カラオケ大会が始まった。それぞれ、故郷への思い、恋情、さまざまな思いで熱唱した。ちなみに私は、津軽海峡冬景色。大会は妙な盛り上がりを見せ、幕を閉じた。今日は少し肌寒く、デスペディーダ日和。皆を起こす係になっていたので、ほとんど寝ずに、朝五時に出発、六時前に空港着。
今日は先輩隊員がとうとう帰国してしまうので、プロジェクトの皆で見送りに来た。今まで時には先生のように、時にはお兄ちゃんのように、いろんなことを教えてもらった。なんだか、とてもさみしいなー。
一旦市街に戻り、事務所などで用事を済ませ、また10時位に、皆何かに取り付かれたかのように空港へ。今度は、二人のカウンターパート達を見送りに。彼らはこれから日本とパナマでの村落開発研修に参加する。特に私の相方は外国初めて、飛行機初めて。さぞかし、おもしろい旅に違いない。『はじめてのおつかい』てなかんじにビデオで追ってみたい。40年くらい自分の生まれ育ったところにずっといて、初めて家族と離れて外で暮らすってどんなかんじなんだろう。ホームシックにかかってないといいけど。日本にいったら、豚骨ラーメンとと芋焼酎は絶対トライしろ、ときつくいっておいたし、きっと
食いしん坊な相方は食べ物で紛らわせていることでしょう。。。。
いつもはリモナルという地域で普及活動をしているのだけど、きょうは他の普及員(Nとする)の誘いもあり、ハラバコアの中の一地域、アティージョという地区を訪れた。
標高が1000m位、見渡す限り牧場が広がる、眺めのとても綺麗な地域。
しかし、昨日の土砂降りで道はかなり凹凸がはげしく、でもそれにも関わらず、Nはとばすんで、何回も吹き飛ばされそうになった。
やっとのことで、集会所についたら、もう会合が始まっていた。今日は、地域にある各グループのリーダー達が集まる会議が行われていた。
彼らは彼らで話をしていたのに、Nは遅れたことを詫びもせずに、割りいって、自分の話をしだした。そしたら、いつのまにかNと議長は険悪な雰囲気に。
Nは『クリスマス作戦(クリスマスに備えて各家庭で野菜を育てようプロジェクト)』を推し進めようとしているが、会議のメンバーはそれに反発。そのプロジェクト自体はよいものだが、今の地域の人々には、道を直したり、植林をしたりするほうが重要だし、伝統作物(キャッサバ、サツマイモ、とうもろこし、プラタノ)に依存する現存の農業では早期実施は不可能。そもそも、Nの言い方が直接的であったし、態度が上から下に何かを押し付けるようだったので、地域の人たちの反発も無理もない。結局なんとか丸く収まったのだが、Nの先行きが思いやられた。
私のほうは、アティージョの様々な住民組織(農家グループ、女性グループなど)と知り合うことができたので、とても有益だった。中でも「今うちでうさぎとヤギ飼ってるんだけど、うんちをどうしたらいいかこまっててねー」という農家さんに会えたので、来週そこのグループで堆肥づくりをやってみようってことになった。
今日、ドミニカ共和国の税収入の8%を占めるといわれるレオン財団が運営するセントロレオンで、映画会があった。今回は『Pineiro』、アメリカに移住したプエルトリコ人の父母に生まれた一人の詩人の壮絶な人生の記憶をジャズ、サルサなどの小洒落た音楽と、映像美でつづる。ナショナルアイデンティティーの喪失、幼少時からの父による虐待経験、貧 困、持病の腎臓病、それらを意識から抹消するための、薬物の常用。。。様々な痛みが彼を襲う。しかしその中でも、彼は詩を書き続けた。おそらく彼の中では、詩を書く、この行為自体が生きている証、生きている意味なのだろう。『自分の人生を一生懸命いきろ』そんなメッセージが聞こえてくるように感じた。
実はいつも一緒に仕事してる相方が16日から日本・パナマでの参加型村落開発研修に参加することになり、今は業務の調整や引継ぎなどで、てんやわんやになっている。
普段村を巡回するときはバイク二人乗りで一緒に行動していたので、来週から2ヶ月間相方なしで一人で活動しなければならない、となるととても心細い。彼は時にしゃべりすぎで困ってしまうこともあるけど、野望も高く、人をひっぱる力もあるので、日本の研修でぜひパワーアップしてきてほしいなと思う。
今まで、活動を行う上で、計画していたことが思い通りに行かないことが多くて、相方なしで一人でやったほうが、やりやすいっ!て思った時期もあったけど、農村の人たちを惹き付ける力だったり、農業事情も含めた地元情報を持っていたり、と彼に頼ることがかなり多かったように思う。
一人でやっていけるんだろうか、まあひとまずはがんばろう。朝から、「サイクロンでもきてるのか?」と思うようなすごい雨。海はもちろん大荒れ。だけど、せっかくビーチリゾートにきてるんだから海に入らなきゃってことで、人間サーフィン状態で浅瀬を泳いだ。水温は暖かったが、波は容赦なく迫り、呑まれるか、否かのところで心地よいスリルを楽しんだ。
結局「今日は危険だから入っちゃだめよ」という注意があって、海からは退散したのだけど、なにせ雨だから楽しめるアクティビティがほとんど実行不可能な状態。海岸付近のリゾートはビーチがあるのが当たり前と思ってるけど、雨や天候不良でビーチが使えない場合のお客さんの楽しませ方を心得ていないのはとっても残念。でも、また晴れてるときにもう一度こようっと。
ドミニカにきてから、大西洋に初接触。ドミニカ北部のソスアのリゾートで週末を過ごした。オールインクルーシブで、3食のブッフェ、フリードリンク、各種アクティビティなどが楽しめる。今日は、ビーチを散歩したり、ひなたぼっこしたり、卓球やったりとのんびりした。
ホテルは長期滞在を楽しむ欧米人達でにぎわっていた。英語、フランス語、ドイツ語などが飛び交い、ここにいるとドミニカにいるってことを忘れそう。食事も外国人が抵抗なく食べれるおいしくて目にも綺麗なものばかり。プラタノ、ユッカ、アビチュエラなどドミニカを代表する食べ物は皆無。
ホテルで全部済んでしまうシステムなので、町にあえて出る必要がない。現にビーチで知り合ったイギリスの未亡人のおばさんたちは14日間滞在していて、ほかの都市には全然でていないそう。
別にホテルでの滞在スタイルを否定する気はないけど、せっかくドミニカにきたのに、グアグアに乗り合わせた客同士に生まれる妙な連帯感とか、よく知らないのにも関わらず、道を聞いたら最大限に協力してくれる町の人の温かさとか、そういった、ラフでアットホームなドミニカを体験するきっかけがないのはもったいないなあ、と思ってしまう。
今日はなんだか空回りな1日だった。今日は、地域の診療所と村役場を尋ねて地域の情報収集をしなければならなかったのに、朝から相方は事務所の用事で首都にいってしまい、私一人でいくはめに。
最初は、村役場の社会担当の人を訪ねた。前行った時金曜の朝に来いっていわれたのに、担当の人は外に出てておらず。帰ってきたら連絡してよって受付のお姉ちゃんにいったんだけど、結局連絡なし。
診療所のほうも、ドクターには、金曜の朝おいでっていわれたのに、いざいってみると、診療所はしまっており、「少年自然の家で会合に参加してます」との張り紙が。ええっ!と思ったけど、このまま帰るのもなんなので、会合の場所(けっこう離れてる)にいってみた。でも、もうそのときにはもう会合は終わっててドクターは帰ってしまった、とのこと。
せっかくはるばる遠いところにきたのに!
結局なにしにきたんだろ、今日は。昼から合流するはずだった相方は、来なかったし。
最近、いろんな人に、『Chicha(贅肉)ついたな』っていわれる。ここは熱いし汗もまあまあかくので、自分としてはちょっとやせた気になってたんだけど、写真で比べると一目瞭然。一日に食べる量はそんなに変化してないけど、こっちでは、ほとんどが肉とごはん、プラタノ、ユッカ、とかとにかくお腹をいっぱいにさせるのが、先決な献立ばかり。ほとんど運動も重労働もしないし。なるべく夕食は軽めにする(しばらくPicapollo断ちするとか)とか、野菜を積極的にとるようにするとか、ちょっと二の腕体操を日課にしてみたりとかしているけど、スレンダーなボディーを手に入れるには長い道のりのよう。日に日にたくましくなる自分に泣けてきます。痩せそうなお茶が手に入ったら、それも飲みたいなと思ってるところ。もうGordaなんていわせない!
今日は、午前中、ハラバコアの農務省オフィスにいって、地域の普及員達と打ち合わせした後、ピエドラブランカとカトルセという地区の主婦グループの会合に参加した。ピエドラブランカのほうは、村出身の大卒の若い女性(ハラバコアのインターナショナルスクールで教えてる。)がリーダーになって活動してるんだけど、彼女人を惹きつけるのがすごくうまい。メンバー同士の議論が活発に行われてたのにはびっくり。村をよくしようっていうやる気もあって、来週さっそく、生ごみ堆肥の講習会をやろうということになり、楽しみ。
カトルセのほうは、一応主婦グループなんだけど、まとめ役は村役場の男性。だからこそ、まとまりがよいのかもしれない。ここでおもしろかったのが、資金集めの方法。最初はみんなから5ペソづつ集めて番号が書かれた紙を配って何をしてるんだろうって思ったら、なんと、くじだった!一口5ペソ。みんなに紙が配られた後、リーダーが番号を読み上げ、該当番号の人は、お皿、コップなどの各種景品があたる。それも一人とかじゃなく、かなりの確率であたる(私には当たらなかったけど)。みんなこのくじを毎週楽しみにしてるらしく、これが会議参加率の高さを維持し、かつ資金を少しづつ確実に集めるのに寄与している、と思うと、あながち過小評価できないかもと思う。
今日は、主婦グループや隣人組織など、担当地域のコミュニティーをいくつか訪問した。調べてみたらNGOとまではいかないものの、地域開発を自分達の手で行う意図を持ったグループってのがけっこうあって驚いた。
うちのプロジェクトは農家での有機農業普及を目的に始まったが、農業は極めて公共性が強いものだし、農家だけでなく地域全体を巻き込んで生活改善、環境保全活動をすることができたら、もっとこのプロジェクトは村にとって意味を持つものになると思う。たとえプロジェクトでいう『成果』という指標では計れなくても。
9月にも一回やったけど、家庭で簡単に実践できる有機農業入門!ということで、ごみの分け方&生ごみ堆肥の講習会、小学校での学校菜園づくり、野菜を使ったお菓子作りなど、地域のグループと協力して、やっていこうとたくらみ中ドミニカに来て、いろんな音楽を聴くようになった。以前はかなり偏ってた。ソウル、ヒップホップ、R&B、俗にいうブラックミュージックばっかり。
こっちにきて、気候・文化の違いがそうさせるのか、サルサ、メレンゲ、バチャータ、ソン、ジャズ、ボサノバ、レゲトン、レゲエ、ラテンポップ。。。。こっちで買ったCDやラジオできいて、「これ!」って思う曲のジャンルが幅広いのには自分でもびっくり。
この国はほんと、『No music No life』って言葉がぴったりはまる。グアグア(各町を移動するワンボックスタイプのバス)はいつも窓全開で風を切りながら、耳が張り裂けそうなほどのボリュームで走ってるし、街を歩けば、どこからともなく音楽が聞こえて即席ディスコテカ(ディスコ)状態。お金持ちでも貧乏でも音楽が人生のかけがえのない一部、それがドミニカンスタイルなのだ。
今日は先輩隊員のデスペディーダ、ということで、昼は、Micampoハラバコアでのラフティング、夜は先輩隊員の担当地域の農家グループのアントニオさんちでサンコーチョ&ダンスパーティー。ここのグループはほんとドリフ
最近逃亡してメキシコから強制送還されたチューチュー、一見渋いのに、音楽がかかるとミュージカルのように飛んだり跳ねたりするミゲルさん、かわるがわる休みなしに、私をダンスに誘うメンバーのおじさんたち(女の人が少なかったのもあり、3時間くらいぶっつづけで踊るはめに)。。。。
とにかくいろんな人の個性と思いがつまった、思い出深い、デスペディーダでした。
かなり久しぶりです。ここんところ、忙しかったせいもあるけど、パソコン環境が悪くて、ブログの更新も、メールも、報告書も滞って不便な生活を送っていました。不都合があった方、本当にごめんなさい。でも、音沙汰がなかったけど、ちゃんと生きています。なので、ひとまず安心してください。
日本から持ってきたパソコン、液晶部分が割れてしまって情報が全然表示できなくって、さらに中のデータを取り出そうにも、パソコンが特殊すぎて、普通のケーブルが接続できず。今は、日本から、前使ってたパソコン(しかしキーボード部分は壊れている)を入手したので、それとラベガで買った外づけキーボードをつなげてなんとか、日常に使えるパソコンの機能、というのを確保したところです。今日から、担当地域の農家グループの基礎調査を始めた。電話番号、あだ名などの個人情報から、栽培作物、農薬使用状況、有機農業知識の程度、作物の販売先、畑の地図など、調査は多岐に及んだ。今まではお茶のみ話だけだったんだけど、調査を通して話を聞く中で、農家の人たちが抱える問題点が少し明らかになりつつある。長年の農薬・化学肥料の使用によって、最近健康面の被害が目立ってきているということ、コストに見合う農業経営ができておらず、農業離れが起きていること、農家が高齢化していること、水の確保が非安定的であること。などなど問題は山積みだよ。
お昼は農家の一人、ミゲルさんちでいただいた。モロ(豆ご飯)、鶏煮込み、モホンゴ(プラタノとにんにくを一緒につぶして揚げた天ぷらのようなもの)、カブサラダ、バナナ。とってもおいしくて、思わず、おかわりしちゃった。特にモホンゴ!
今日はうちのプロジェクトに、作家の嵐山光三郎が遊びにきた。私は知らなかったんだけど、温泉とグルメ好きで、日本、世界各地を旅しながら、小説を書いているそうだ。まさに“趣味と実益”を兼ねた人なんだろう。作品をちょっと読んでみたら、なるほど、五感を使って味わうとはこういうことか、と気づく。とにかくvivid.
ランチでは、彼の目の前に座ってしまった。緊張したんだけど勇気を振り絞って、「ドミニカにはいつ到着したんですか」と聞いたら、帰ってきたのは「こないだ」っていう答え。普通なら、なんだこいつは、会話のキャッチボールもできないのか、と思うのだけど、なんかこの勝手気ままさは許せるような気がした、不思議だけど。ちゃっかりサインと写真たのんじゃったし。
ラベガ市内をモトコンチョで走ってたら、私の名を叫ぶ人がいたので振り返ったら、そこにはフラン(50代前半・男性・金融会社経営)がいた。この人と顔をあわせるのは実は二回目だ。一回目は職場の女の子(20代後半・女性・受付)と3人でごはんを食べた。なんでも彼は彼女のモト彼なんだそうで、興味しんしんな反面、ワケありかなーなんて想像しながらのなんだかとっても気まずいランチだったのを記憶している。でもそのときに、
彼は次のターゲットを私に定めたらしい。その日に、自身が経営するコルマドに連れて行ってくれて、なんでも好きなもの食べなさいっていわれたり、高級レストランに誘ってくれたり、ヘアーサロンに連れて行ってあげるといわれたり、洋服かってあげるといわれたり。幸薄そうに見えたのかもしれないけど、これって愛人生活じゃない。結局コルマドでお菓子買ってもらったり、タコスごちそうしてもらったりしただけで終わったけど、なんか別世界をみたようで、視野が広がった。
ドミニカのスタンダードはちょこっと売りだ。この国特有の停電の文化が、食生活にも大きく影響しているのだろう。箱があっても冷蔵するという機能はほとんど期待できないし、されない。スーパーなんかにいってもあんまり大きいサイズの食品は売ってない。近所のコルマドはなおさら。例えば、ハム20ペソ分、とか卵二個、とか油大さじ一杯とか、こっちがお願いした分だけ売ってくれる。私はコルマドでよく卵を買う。ごはんを作っててなんか足りないなーと思ったときに3軒先のコルマドに走る。もうおっちゃんも顔なじみだ。いつもいって、だいたい同じものを買ってるので、“いつものヤツ”的なものができつつある。コルマドとおっちゃんの笑顔、ほぼ一人暮らしの私にはなくてはならないものだ。
村から帰って、相方とエキスポベガーノにいった。いわば産業まつりのようなもので、国内外の企業、公共機関、個人営業者なんかがブースを出し、自身のPR活動をしながら、地域全体の産業を盛り上げてこう、というものだった。動物さん触れ合いコーナーなんかもあった。うちの機関も展示をしてたので、手伝いにいく、という、名目で遊びに行った。
うちの機関の偵察は早々に済ませ、屋台をぶらぶら。早速いちごアイスをゲット。その後、知らないおじさんからビールをもらい、ぶらぶら。このお祭り、かなり規模が大きくて、遊園地みたいなのもある。ジェットコースター、メリーゴーランド、観覧車(動きがかなり速い。しかも途中で止まる)など一連のものは揃ってる。町の修理工のおっちゃんが趣味高じて作っちゃいましたー的なホームメイド感あふれるアトラクション。停電の心配はないものの、リアリティに富んだスリルが心地よいのか、かなりにぎわっていた。今回は、海賊船(左右に高く飛ぶ絶叫マシーン)に乗ったんだけど、ビール飲んだ後直乗ったせいで、かなりグロッキーなかんじだった。でも、乗ってるときにちょうど花火があがったのは、とても風流で、美しかった。ドミニカでまさか、花火をみるとは!感動。
電気がない。電気がない。電気がない。
この国の停電はもういつものことで慣れっこになっていたのだけど、ここ一週間くらい、停電すると、ランプの明かりもそれに応じてつかなくなるようになった。うちの部屋は発電機があるので、いままでは停電になっても、水がなくなったり、電力消費が大きい電化製品が使えなくなるくらいで、すんでいた。でもこのごろは、ランプまでもが途絶えてしまった。
だいたい夜はいつも電気がない。お星様のきれいなこと!
わずかな懐中電灯の明かりを頼りに、調べモノをしたり、活動の準備をしたり。。。。そのとき、いつも、閉店前や卒業式にかかるあの曲が頭の中で流れ、ちょっとセンチメンタルになる時も。最近、山で緑をみてるはずなのに目がだんだん悪くなってるので、ちょっと問題有。
今、ちまたは夏休みなので、うちにも、フアナおばさんをたずねて、NYから、お孫さんが遊びにきてる。ドミニカは出稼ぎだったり留学だったりと、とにかくアメリカにいく人が多い。親戚に一人はアメリカに住んでる人がいるんじゃないかな。このコたちの場合は、両親が出稼ぎの延長で結婚して、NYでうまれたから、完璧にアメリカ人。プラタノよりもピザを食し、メレンゲ・バチャータよりもヒップホップを愛す。両親はドミニカ人なので、スペイン語はわかる。だから、こっちもスペイン語で話してたんだけど、いまいち反応が悪い。そこで、英語で話しかけてみた。そしたら、かなり乗りのりで話してくれるようになった。私の質問にもすごく詳しく答えてくれたし。いいや、仲良くなれるなら、英語でしゃべろう。そんなかんじで、家での使用言語、ただいま英語。しかも、いつもにもましてスペイン語と英語が混じるので、日本語思考的スペイン語べースの英語というかなり奇妙な形になっている。
今日私は髪を切りました。一ヶ月前にも自分で髪を切りました。周りの日本人からはかなり好評だったんだけど、ドミニカ人からはなんで美容院いかないのって聞かれた。こっちの女性は髪命。どんな山奥でも美容院は必ずあるし、みんな週に一回はいくらしい。
私の言い分「だって、こっちの美容院、すくとかいう概念ないし、東洋人だからよかれと思っておかっぱとかにされそうだし。。。」でも、ドミニカ人は美容院へいけと薦める。あまりにも私が頑ななので、「お金だしてあげるから、今度こそいこうねー」といわれてしまった。。。強制連行の前に自分できっちゃったけど、その人になんていおう。
この世の終わりがごとく、お腹~頭に断続的な痛みを感じたので、今日は仕事を休んで、部屋で休んでいた。朝、フアナおばさんにもらった、スパークリングソルト(セブンアップに塩味がついたかんじ。食中毒や胃もたれなど諸症状に効果があるらしい。)を飲んで、就寝。昼、お腹が痛くてまた起きて、今度は寝れなくなった。具合が悪いのと、なんだか心細いのとで、せつなくなり、一冊の本を手に取った。
『二十歳の頃』ドミニカにいくからと友達が餞別にくれた本だ。東大の立花隆ゼミの学生が作家、経営者、学者、原爆被爆者、自身の祖父など有名無名の人々の20歳のころをインタビューした本。人を見るときにどうしても、現在という点で考えてしまうが、どんなに有名な人でも、“謎の空白時代=無名な青春時代”があり、みんなその時代背景、自分自身、将来etcに悩み、苦労していたと思うと、なんか自分も精神的にもっとがんばらなきゃという気になった。また“空白”である今をどう生きるか、この重大性も見逃せないと思う、将来の自分のためにもね。
幼いときからチワーワと暮らしてる子供はアレルギーにならない、とか。何でも学術的に証明された事柄で、他のどの犬種でもなく、チワーワのみが部屋の空気清浄作用をもつ犬として発表されているそうだ。単に毛が短いからとかじゃなく?でも、まあうちには5匹もいるもんね、クリーンな環境万歳。でも人の部屋の前でうんちするのはやめませう。犯人大体確定してるけど
晩御飯、フアーナおばさんが鶏のレバーを調理してたんで、「レバー、おいしそう!日本でも食べるんだよー」っていったら、「残念、彼女達が食べるのよー」って、プラスチック5個分の容器へ投入。チワーワのくせに、生意気な!鉄分とってどうするつもり!これ以上血気盛んになったら困るんだけど、特に一番凶暴なモチっ子(本名リリー)!
今日は借りてた地図を返しに一人でハラバコアの町の病院にいった。受付のナンシーにはかなり協力してもらったので、お礼をいって、病院を後にした。
市街地からはちょっと遠いけど晴れてたので、散歩をすることにし、てくてく歩いてたら、背後から「あんた、日本人か」とドミニカ人のアルヘンティーナおばあさんに話しかけられた。ハラバコアには日系人の入植地があり、日本人には昔から馴染み、親交があったようだ。きのうもグアグアの中でてんぷらが好きなおばさんに話しかけられた。おばあさんとは一緒に歩きながら、家族の話、料理の話などいろんなことを話した。
しばらく歩いてたら途中でなんだか人だかりを発見。近づいてみたらカミオネーターの後ろに人があおむけになってる。やじうまのおっちゃんいわく、この人はグアグアにひかれたそうだ。流血してるし、痛がってるし、こっちも生きた心地がしなかった。
本当にいろいろある国だ。
今日は朝から大忙し。巡回用に担当地域の地図を手に入れようと、村の診療所、ハラバコアの病院、農業団体などを回った。なかなか苦戦していたのだけど、たまたまハラバコアの病院にいったら、受付に「俺んとこ地図もってるぜー」という人がいたので、無事ゲット。お昼はラウティコさんいきつけの食堂で鶏煮込み+ごはん(ドミニカ的に油と塩を入れて炊いてある)+アビチュエラをたべ、午後は農家巡回へ。
農家巡回といっても、まだ始まったばかりで、各家庭を回り、お茶のみ話をしてるだけなんだけど。でも、このお茶のみ話、とっても重要なのです。ドミニカの農村社会では、まず仕事をする前に、「家族の一員」になること、またそのように見なしてもらうことが必要不可欠だそう。身近な人間として心を許せて初めて、仕事の話を聞いてもらえるようになる。それに、お茶のみ話の中に彼らの生活習慣や、考え方などいろんなヒントが詰まっている。まだ全部はわからないが私はこのお茶のみ話が好きである。
今日は農家さんに小粒のピーマンととうもろこしをもらった。夕ごはんはとうもろこしをゆでて、醤油で味をつけていただいた。身がちょっともちもちしたかんじで日本のものとは違うが、とてもおいしかった。
今日は久々に村へ出かけた。先週は私もラウティコも仲良く風邪をひいてたんで、村にいける状況ではなかった。まず農家グループリーダーの家にいったら、ごはん(青バナナ、サツマイモ、ユッカをふかしたものとサラミ)をごちそうになった。そのとき、「うちの牛からとったんだよ」って、牛乳を出してくれた。私、実は牛乳があまり好きではない。でも、せっかく特別に出してくれたので、一口飲んでみたら、とてもぬるくて、ほのかに甘かった。ちょっと辛かったので、味の濃いサラミを口に含んだ後、一気に無になりながら牛乳を飲み干した。牛さん、ごめんなさい。
いくつか農家を回ったときに、ラウティコとの意見の違いが発覚。っていうか、勝手な解釈をされていたので腹が立った。私と普段話しをしているときは、「お金・モノだけの援助にならないように気をつけないと」って話してたのに、実際今日農家と話をした時には、「彼女(私)はあなたたちのためにお金を用意していて、例えば、肥料の原料や資材などの援助もしていく予定です。」ってな話をしはじめた。最初にお金あり、みたいないい方じゃん。まだ農家の人たちがどんな問題を抱えてて、それを解決するためにどんな活動が必要か、ということも決まってないのに、最初からお金の話するか、普通?確かに必要なものは援助するべきだけど、そのお金や資材ってのは、あくまでも活動に付随するもので、メインではないわけ。この言い方だと、「日本のボランティアが何かくれる」って最初から必要以上に期待しちゃうじゃん。たぶん、私がスペイン語あんまりできないから、代わりに農家の人に説明してあげようと気を使ってくれたのだろうと思うのだけど、今回ばかりはほんと、余計なお世話。彼が説明し終わった後、間髪いれずに、訂正した。彼と私がいってることが違うので、農家の人たちは混乱したかもしれないけど、まあ、彼の発言のまま理解されるよりはいいか。。。結局彼とはちゃんと話し合い、納得してもらうことができた。根本では考え方は変わらないが、アプローチの仕方をちゃんと考えないと、活動がうまく進まないような気がする。
先日、プロジェクトの農家グループのリーダーさんが亡くなった。まだ27歳だったのに、突然心臓発作で亡くなったそうだ。若手でやる気のある農家さんだっただけに、惜しまれてならない。今日葬儀があったので、私も参加させてもらった。沢山の人が参列しており、人望の厚さをうかがわせた。妹さんや近所の人々にあいさつをしたかったが、言うべき言葉がみつからず、ただ抱き合うことしかできなかった。
ミサでは、神父さんのお祈りと、ギターに合わせて歌が歌われた。歌の合間には、『 PAZ(平和を)』といいながらみんなでハグ。皆の思いが伝わってきて、じーんとした。
この国ではとにかく人がよく亡くなる。ちょっと前までぴんぴんしてたかと思ったら突然姿をみせなくなる。栄養の偏った食生活、アルコール、過度の労働、など原因は多い。個人的には、食生活の改善と有機野菜普及をリンクさせて、ドミニカ人の健康条件を改善できたらなーと思う。
今日は久々のハラバコアでの活動。研究所の車に便乗したため、ぎゅうぎゅうにつめて出発。まずは、有機肥料を作る材料を探しにハラバコア中をぐるぐるした。農家の人々が低コストで、また省労力で集められる材料でなければいけない。今回は見本をもらいにいったのだが、結局、コーヒーの皮、ミミズ堆肥、鶏糞、馬糞、木くずをもらうことに成功した。どんな肥料ができるのか、楽しみだ。
それが終わったあと、標高1053mにある研究所の試験場に向かった。ピーマン、トマト等に関して有機質肥料の施肥試験をする、ということでその試験の概要の説明をしてもらった後、点滴灌漑(少量の水を有効に作物に与えることができる灌漑方法)のホースの設置を行った。でもなかなかうまくいかなくて、ホースに必要以上に穴が開いてたり金具と合わなかったりで、えらい大仕事になった。結局全てを引き上げたのが夜の七時くらい。みんな疲れたみたいで、帰りにコルマドでビール買って飲んでたし。もちろん運転手も。雨が降って視界がかなり悪かったので、とてもどきどきした帰り道だった。
今日からサレシアーノ農業学校というところで修行を始めた。もうクーラーのきいたオフィスでの仕事はうんざりだ。現場に出て、身体を動かしたい、そんな衝動がわきだした。学校がもう夏休みになったので、前学期の後片付けと来学期の準備を先輩隊員がするというのを聞きつけ、私も一緒に連れて行ってもらうことにした。担当地域での活動が忙しくなる前に、農業の実習経験も積んでおきたかった。先輩隊員にいろいろ教えてもらいながら、少しづつ感覚を取り戻しているところだ。
今日は遮光率80%の寒冷紗を張った畑での作業だった。そこではキューバで盛んなオルガノポニコ(地面にコンクリで枠を作り、そこに土を盛って畑を作る技術。都市など狭い土地でも簡単に畑を作り出すことができる)が導入されていた。作物の収穫が終わった部分を耕して、もみ殻、ボカシ肥、炭を土と馴染ませ、整地作業をした。基本的な作業であるが、先輩隊員のやった畑と私がやった畑をみると、その技術力には歴然とした差があった。当たり前ではあるが、その違いを身にしみて感じた。やはり私には修行が必要だ。先輩の作業の様子をみながら、話を聞きながら、技術を磨き、見聞を広げたい。
農作業の醍醐味、それは休憩時間にあるのかもしれない。皆で和みながら、敷地内に生えてるマンダリンを食べたり、マーガリン味のアイスを食べたり。今日はいい汗かいたなー。最近、ドミニカ全土で、変な風邪が流行ってる。37度くらいの微熱が1週間~二週間続き、扁桃腺が腫れる。うちの日本人スタッフも次々とばたばた倒れている。私は、風邪を引かない人種なので、大丈夫だと思ってるけど、こっちでかかる病気はちょっと怖いので、予防できることはきちんとやらないとね。
こっちで風邪になったときは『te de limon』というレモンの薬を飲むとすっと直るっていわれている。日本でいったらはちみつレモンみたいなかんじ。
それにしてもおなかの調子が悪い。こっちにきてから、常にお腹の調子が悪い。いつも。もう慣れっこになっちゃったよ。でも自分お腹強いと思ってたので、結構ショック。
ハラバコア、そこは私の活動先だが、今日はリゾートとしてのハラバコアを体験してみた。激流でのラフティング。私実はラフティングって、ディズニーランドのアトラクションのような感覚で考えていた。でも実際には死と常に隣り合わせの過酷なスポーツだったのだ。毎回死者がでるという噂を聞いたので、かなりびくびくしていた。ガイドさんはいたのだが、そこあたりの兄ちゃんってかんじだった。もし河に落ちたら、助けてくれるんだろうか。。。不安がかなりつのった。実際漕いでいて何回も「あ、死ぬかもー」と感じる瞬間があった。激流で人が飛んだりはねたり。私もかなり危険な思いをしたが、でも同時にとっても楽しくて、ずっとキャラキャラ笑っていた。こんなに心の底から「楽しいっ」って思ったのってなんか久しぶりなような気がした。忘れかけていたなにかを思い出したような気がする。またやりたいな。
任地にきて一ヶ月、いろんなことがありすぎた。
まず、私の家に変質者出没。一回目は、私が夜寝ようとして電気を消したそのときだ。窓のほうから男の人の声で「電気をつけろ、とにかく電気をつけろ。つけなきゃどうなるかわかってるのか」といっているのが聞こえた。暑いので当然のように窓をあけていたのだが、私の部屋は外に面しているので、外から見つかってしまったようだ。電気を消したその瞬間いわれたので、きっとスタンバイしていたのだろう。私はこわくて、しばらく固まってしまった。その日はけっきょく怖くて眠れなかった。
二回目は、お風呂の窓においておいたシャンプー・リンスが盗まれていた。一応窓に鉄格子はあるが、なにか細いものでたぐりよせてとったようだ。
三回目は、朝四時半ごろ。ガタガタという物音でおきた。ふと窓のほうをみてみると、なんと、内側からしか開かないはずの窓が開けられているではありませんか!またか!と思って、今度は、携帯していた防犯アラームを思いっきり鳴らして、同居してるイリスを叩き起こした。アラームのせいでヤツは逃げたようだが、明るくなってから窓の外をみてみたら、窓の網戸に穴が開いてて、さらに地面には、長時間滞在したとうかがえる食べかけのパンが投げてあった。もう怖いというよりも気持ち悪くていてもたってもいられなくなった。ただの泥棒か、それとも外国人女性だからおもしろがっているのか、それはわからない。
こんなこともあり、今はホテル暮らしの身である。新しい家が探せるまでの避難生活には、ちょっとよすぎるが、しょうがない。まさか赴任一ヶ月で家捜しをするとは思っても見なかった。こっちには不動産もないし、スペイン語もよく話せないしで、家捜しは困難を極めた。コルマド、薬局、スーパー、食堂など人が集まりそうなところに声をかけまくったり、職場の人のつながりをあたってもらったり。できることはやった。最終的には、職場の人の紹介で、オフィスから30秒くらい(近!)の家に決まりそうだ。民家の二階で、自分用のキッチン、バス、部屋がある。大家さんもいい人そうで、よかった。そして何よりも、家にはチワーワが四匹も!そのうち一匹は赤ちゃんだし!あとはセキュリティの面で事務所のチェックがOKになれば晴れて入居できる。とってもわくわく。
今日はちょっとシロガネーゼな気分を味わった。かねがね噂を聞いてた語学学校近くの『pastereria del jardin』っていうケーキ屋さんにいった。オープンカフェみたいになってるところもあって、ちょっとおしゃれなかんじ。
いつも、スーパーなんかにいって、ケーキを売ってるところに遭遇することはあったけど、ドミニカのケーキはどれも、砂糖どっぷりで着色料ぎらぎらで、とてもじゃないけど、買う気にならなかったんだけど、ここのお店のケーキは、どれもナチュラルなかんじで、おいしそうだった。
すっごく迷ったんだけど、私は、ピーカンナッツのパイとタマリンドジュースを頼んだ。少し甘かったけど、ほんとにほんとにおいしくて幸せな気分になった。かなり自慢したい!
今日は語学学校で、日本文化紹介イベントをやった。他の2人は、折り紙、三線と個性的なプレゼンをしたのだけど、私は夜なべして作った、新聞紙の竹刀とともに、剣道のデモンストレーションを行った。剣道は小学校一年生から、高校除いて、大学までやっていたので、人生の一部みたいなもんだ。剣道の歴史、武士の精神などの説明の後、実際に竹刀もどきで、打突の実践、練習の一つとしての素振りなどをやってみた。ドミニカでは空手は道場もあって有名だけど、剣道はまだ未知なる物。けっこう真新しかったらしく、先生達もけっこう興味しんしんなかんじだった。ブルーシーという男の先生に、剣道の基本動作をレクチャーしてみた。「メーン」っと、ちゃんと、気合も入っててなかなかはまってた。マリア先生は、私が作った竹刀もどきを、「だんなを叩くのにちょうどいいわ!」って、お持ち帰りしていった。まあ、役にたったんだから、いいとしよう。
朝、リセイを後にし、私の任地、ラベガを訪れた。大きな町とは聞いていたが、実際、かなり都会。でも、高い建物はなく、おだやかなかんじ。家の作りも独特で、とてもきれいな町並みだった。ラベガでは、プロジェクトの先輩隊員を訪れた。ちょうど、パパイヤかって来たとこなのよ~と、パパイヤをさくさく切って、ミキサーでジュースを作ってもらった。おいしい、果物そのものをジュースでしぼってのめるなんて、なんて素敵な生活なのかしら。プロジェクトの人たちの話を聞いたり、街をてくてく歩いたり、カキ氷やさんにいったり、「ちょっとラベガ生活楽しいかも」と思った瞬間がいくつもあった。
プチ北部旅行。任地を視察、という名目で、北部のリセイアルメディオ、サンティアゴ、ラベガを訪れた。だいたい首都サントドミンゴから2時間くらい。道中で、変わりゆく景色をみながら、隣の自称パイロット(ピストル所持)にナンパされながら、サンティアゴへ。ここは、第二の都市で、とても栄えていた。でも、サントドミンゴに比べて、緑が多く、とても雰囲気のある町だった。
サンティアゴをちょっとふらふらして、そこから10分くらいのリセイアルメディオに降り立った。そこで、Fresnelという、ハイチ人の学生と知り合った。大学では医学を勉強し、今は、ペンキ塗りのバイトをしながら、教員になるための勉強をしているようだ。とても、純粋な好青年だった。外国人としてドミニカについてどう思っているか、また、ハイチの文化についてなど、いろんなことを話した。リセイの人はなんか、あったかい人が多い。お昼をご馳走してくれたり、知り合ったばっかりなのに、ビールを振舞ってくれたり、歩いてると呼ばれて、おっちゃんの講釈をきかされたり、なんだかわからないけど、ここちいい町であることに間違いはなかった。
ドミニカのスーパーにはまさに、掘り出しものの宝庫だ。
今日はうちの学校の近くにsirenaという、ジャスコっぽいショッピングセンターにいって、小さいさいふを捜していた。バス乗車用に、ぎょうぎょうしくない小さいのがほしかったのだ。
ちょうど、ワゴンの中に、財布がたくさんつんであったので、物色した。子供用品売り場にあったので、ディズニーとか、スヌーピーとかの柄が目立った。
しばらく探していると、おもちゃのサングラスとか、使い古しっぽい財布とか、いかにも、家庭科の作品ってかんじの財布とかなんかも、まぎれていた。しかも、それらにもちゃんと値段がついてる。従業員が家から持ち寄って気まぐれで混ぜちゃったかんじ。スーパーなのに、もはや、フリーマーケット状態。他のコーナーでも、コザトヘンが怪しい悟空のTシャツが売ってたり、星運?とか中国語っぽい言葉が書いてあるキティちゃんのマスコットとかがあったり。うさんくさいけど、どんなのがでてくるんだろうって、すごくわくさくしてしまった。
今日は、ドミニカ南部の日本人移住地を訪れた。
最初は、ハイチの国境近いドゥベルヘという小さな町。ここは、日本人が、政府の移住政策で最初に、コロニーを作った町だ。第一印象は、何もない、閑散とした町。乾燥していて、作物もあまり育たなそう。こんなところに、日本人が入植しなければならなかったのだ。当時の政府が謳っていた『楽園』とのギャップに、入植者の人々はかなり苦労したに、違いない。
ドゥベルへを後にし、次は、ビセンテノブレに住む日系一世のおばあさんを訪ねた。白いごはん、野菜たっぷりのお味噌汁、お漬物をいただきながら、スペイン語と鹿児島弁を交えて話すおばあさんに、移住当時のことなどを伺った。厳しい気候条件、文化のギャップ、言葉の違い、など多くの障害を乗り越えるには、私たちの想像ははるかに超える苦労があったのだろうと感じた。絶望的な状況の中で、それでも前へ前へと自分自身を奮い立たせていった、日系人の方々には、本当に頭がさがる思いがした。
特に、日系人の方々が、ドミニカ共和国の経済に及ぼした影響というのは、はかりしれないものがある。今回の南部移住地見学の最後に、日系人の方が経営する、有機栽培バナナ農園を訪れた。13人のハイチ人労働者とともに、4万本のバナナの木を、無農薬、無化学肥料で栽培し、ヨーロッパの先進国等に輸出しているそうだ。
特に、農業においては、日系人の存在・功績は、不可欠なもののようだ。
今日は、仕事に関係する機関ということで、農務省を訪れた。図書館にいったら、スタッフの人が2人、仕事をしているのか、私の世話をしてるのかよくわからないかんじでいた。
私がラベガで有機農業の普及に携わる旨を伝えたら、資料を持ってきてくれた。中身は、あんまりよくわからなかったけど、ドミニカの有機農業の一般情報などが書いてあったような気がした。「この資料は他の部署のもので、今しか手に入らないから、コピーしたら」といわれたんだけど、資料はすっごく分厚くて、どれが重要なのかも全然判断できなかったし、コピーできるところがすごく離れているので、一時間半くらいまたなきゃならないっていうのもあって、断った。スタッフの人達には、「なんでコピーしないんだ?」っていわれたんだけど、膨大なスペイン語読む気がしないし、今の私にはわかりっこないしね。いちおう、スタッフの人たちに、有機農業についてなど質問をしてみたんだけど、彼らがいってることが全然わからなくて、本当に泣きたくなった。っていうか、半分泣いてた。先生が後で優しくなぐさめてくれた。なんて、amarbleなのかしら。
でも、これで、本当に仕事ちゃんとできるんかなあ、かなり不安。
今日は、マリア先生による、メレンゲダンスレッスン。ドミニカ共和国は、スペインの音楽とアフリカの音楽、インディオの音楽の影響をうけた、独特な音楽を楽しむことができる。メレンゲ、バチャータ、ボレロなどなど。グアグアに乗るといつもがんがんにかかっているし、閑静な住宅街でも、いたるところで、かかっている。ここでは、音楽はほんと生活の一部なんだなって思う。踊れない人は人間じゃない、そんなかんじ。
今日は、メレンゲにあわせて、足裁き、手の組み方、回転の仕方なんかを練習した。ちょっぴり難しいけど、かなり楽しかった!次は、ディスコテカにいって、練習を重ねなければ!
ドミニカのトイレ事情。トイレは日本と同じように、水洗・着席式だ。しかし、ここのトイレは、管が細いらしく、紙を便器に流さずに、脇のかごに捨てなければならない。まあ、こんな国は他にもいっぱいあると思うし、別に不便ではないので、さほど、気にならなかった。けど、この前遭遇したトイレは、カルチャーショック以外の何者でもなかった。
とある、サービスエリアのような場所でトイレに入ろうとした。したら、びっくり、トイレの扉の下が開いてて、しかも、扉が低いところまでしかなく、みんな顔が上から出てる。中には、扉すらないトイレまで!(しかも、普通におばあちゃんとか用たしてるし!)。
トイレは10個くらいあったんだけど、実際、ちゃんと機能してそうだったのが、2個くらい。私が利用しようとしたのは、かなりやばかった。水が流れるか試してみたら、なんとトイレの下から水が溢れ出して、トイレの床が洪水状態に!かなりみんなの注目をあびるかと思いきや、みんないたって普通。あらら~、程度。結局、妥協に妥協を重ね、消去法で、トイレを選び、トイレを後にしたのだけど、ほんと、生きた心地がしなかった。。。。。
朝、ホテルハラグアという超高級リゾートで、安全対策協議会があった後、天気もよかったので、カリブ海をずっと眺めていた。すると、どこからともなく、ちびっこ二人がきて、となりに座った。彼らは、靴磨きの道具を持っていたので、おそらくこの収入で家計を助けているのだろう。最初は、あんまり興味なさそうに海に石なんかをなげて遊んでた。私も、最初は、気にせずに仲間としゃべっていたのだけど、途中から彼らの存在がすごくきになりだした。そこでちょうど、私革靴はいてたから、磨いてもらうことにした。
そのちびっこの一人、アドリアン君とはいろんなことをしゃべった。彼は、ドミニカではなく、ベネズエラからきたんだって。海に石を投げて遊んでたのも、カリブ海の向こうを意識してるんだなあって納得した。アドリアンは、木登りもできるし、ばくてんだってやっちゃう元気な男の子、でも、ふとした瞬間に、さみしそうな顔をする。幼いながらに、私たち大人よりも、世の中のことをよくわかってしまったのかもしれない。
結局、アドリアンとは、日本語を教えたり、海鳥について話したりして、長いことすごした後、次の目的地、プラサ・クルチュラルまで案内してくれた。
ここでは、『feria de libro』という、文化フェスティバルが行われていた。各国の文化紹介、古本市、各省庁のインフォメーションブースなど、様々な出店があり、ひととおりぐるっとまわった。その後、前からとってもいってみたかった、近代美術館を訪れた。ちょうど、日本の陶器展もやっていて、運がよかった。俗にいう、モダン・アートな作品が並んでいて、「この形は何を表してるんだろう?」とイマジネーションが膨らんだ。
ここでもおもしろい出会いがあった、しかもトイレで。私が入ろうとしたとき、ちょうど、掃除をしていたんだけど、大丈夫よっていわれたので、入った。そしたら、紙がない。そこで、掃除のおねえちゃん(クリスティーナ)がそれを察して上から、紙を手渡してくれたんだ。なんて、親切な人!っておもったわけ。トイレからでて、早速お礼をいうと、「どこからきたの~?」から始まり、話に花が咲いた。しまいには、「日本のアミーゴたちに、私の写真をちゃんとみせてね!」と、おもむろにTシャツを脱ぎだした(笑)
偶然の出会いだけど、なんかやけに親しみをかんじた。もう一度会いたいなあ。
ホームステイってよくわからない。夜外出すると、「年寄り夫婦よりも、若い子と出かけるほうがいいのかしら」といわれ、外出しないで、家にいると、「今日、娘夫婦にボカチカ(海岸)にいかないかって誘われたんだけど、あなたにご飯作ってあげなきゃいけないからと思って断ったのよ」といわれたり。家では、ことあるごとに話してるつもりだけど、コミュニケーションというか、間の取り具合がまだまだ難しい。
でも、今のところ、家族とはうまくやっているし、ママとパパはすごくよくしてくれる。今日も、息子夫婦が小さい赤ちゃんを連れてきたときに、私に赤ちゃんを紹介してくれた。まだしゃべれないけど(笑)。お目目くりくりで思い切り、ぎゅっと抱きしめてあげたくなっちゃった。Muy bonito!!
夜は、ピザの宅配を頼んだ。サラミピザとサーモンピザを頼んだんだけど、実際にきたのは、サラミピザとパイナップルピザ。どうやら、店の兄ちゃんがまちがえたっぽい。みんなでぶつぶつ文句をいいながらも、なかなかいけるじゃんと思いつつ、食べた。
ああ、お腹いっぱいと思ったら、今になって、パパがピザ屋に電話をしだした。「サーモンピザを頼んだのに、なんで、パイナップルピザをもってきたんだい?いった何が起こったんだい?」とクレームつけてた。向こうは、煮え切らない返事をしていたらしく、今度は、「客として、あなた方のサービスに支払う義務はないと思うのだが、どうするつもりだい?」などとさらに詰め寄っていた。結局、サーモンピザをあらたに届けてくれることになったのだが、日本だったら、普通、食べる前にいうよね。食べちゃった後にいうのが、ちゃっかりしてるというか、さすが!と思った。
クレームはけっこういいたいことがんがんいってたけど、ピザに対する不満とかはどうでもよさそうで、ただ、ゲーム感覚でそのやりとりを楽しんでるってかんじがした。なんか、おもしろいな、ここの人って。
今日は、ドミニカのヨーロッパ、ソーナ・コロニアルという旧市街地にいった。ドミニカ共和国は、コロンブスが最初に「発見」、都市を作った場所で、ユネスコの世界遺産にも登録されている。今日訪れたエリアには、植民地時代当時の建造物、町並みが残されており、どこでもドアでヨーロッパにきてしまったような、そんな印象だった。
カテドラル、オサマ砦など、様々な場所を訪ねるうちに、当時のスペイン人の繁栄、植民地労働者の苦労について、想像がふくらんだ。植民地政策の良否は別として、歴史を大事にする、ドミニカ人の思いは、日本人が想像することができないような特別なものがあるのだろう。
今日は先生とちょっと秘密な話をした。いつもよりさらに疲れたかんじだったし、かぜひいたみたいだったので、心配になった。
話をしてみると、朝、昼は語学学校で働いていて、夜は公立学校で働いていて、しかも休日には大学に通っているそうだ。一応、語学学校の授業は毎日入っているが、それだけではとてもじゃないけど、生活していけないそう。語学学校のトップはアメリカ人で、授業料等の収入のほとんどを持っていってしまい、ドミニカ人教師にはほとんど入ってこないんだって。せっかくうちの先生は有能で働き者なのに、とってももったいないと思う、
私達のコースが終わったら、学校をやめて、起業を考えているそう。いくつかプロジェクトをもっていて、まず最初に、高校を出て職を持たない若者相手に、職業訓練を行ったり、仕事を探したりする手伝いをしたい、と考えているそうだ。実際、ドミニカでは、職を得るということは非常に難しく、それが高校卒となったらなおさらだ。ドミニカの若い人たちの将来を真剣に考えている先生の話に、私も心の奥がすごく熱くなっ今日は先生とドミニカ人類学博物館にいった。ドミニカの文化は、サンコーチョだといわれている。サンコーチョっていうのは、ドミニカの代表料理で、ユッカ芋、牛肉などをスパイスで煮込んだ、カレーが超マイルドになったような料理。先住民のインディオである、タイノ族がユッカを、コロンブス時代の支配者スペイン人が肉を、奴隷として連れてこられたアフリカ人がスープを持ち寄ってできあがったのが、サンコーチョ、ドミニカンリパブリック。街を歩いても、多民族、多人種国家なんだなあとしみじみ思う。
博物館に行った後、mercado modeloという、市場街にいった。ここはちょっとしたハイチ人のコミュニティーがあるそうで、少し独特な感じがした。私自身、ヘイジャンアートや、ブードゥー教などハイチの文化に結構興味があるので、ハイチの人たちとも、話してみたいな。
すごく活気がある市場で、うちの語学学校の先生の友達、と名乗る人がいたり、すれ違いざまに、「ジャッキチェーン、アチョー」って叫んでた人がいたり、いろんな人がいた。なんか、もう一度いってみたい街だった。そうそう、ここで食べた、とうもろこしで作ったおばちゃんの手作りパン、優しい味がして、とってもおいしかったなあ。また食べたい!!!!
今日は授業の後、スーパーを探検した。値段はそんなに安くはないけど、おもしろいものがたくさんある。業務用のドライヤー付いす、かわいいのとリアルなのの瀬戸際なかんじのキャラクターのノート、ドミニカ語辞典など目をひくものがいっぱいだった。
ドミニカはほんと、お金さえ払えば物はなんでもそろう。USBのフラッシュメモリー、習性テープまである。
ドミニカ人は、見た目をすごく気にする国民だそうだ。だからか、インフラはとても整っている。しかし、実際は箱だけなのである。電線が引かれていても、毎日停電する(何時間も!)し、水道も電気で制御しているため、停電とともに、水も止まる。首都はまだいいほうで、一日3~4時間電気が止まる程度で済んでいるらしい。地方では電気がまったくないところや、電気があっても、一日中停電、みたいなところが多いらしい。私的には、電気がないのは、別にかまわない。でも、水がないってのは、かなりきつい。だって、トイレの水も流せないんだよ!だって、女の子なんだもん、きついよ。まあ、田舎にいくから、慣れないといけないのだけど。もしものために、バケツに水をためとかないとね。
私の先生は、40代で子供が3人もいるが、かなりグッドスタイルである。しかも、私の好きなMary J Bligeにちょっぴり似ている。彼女はとっても、tarabajadoraだ。たぶん、けっこう頭もよいのだと思う。やる気があって、こっちが質問したことにも、真剣に答えてくれる。ドミニカ人はあまり仕事をしない、と聞いていたので、先生の働きぶりにはびっくりした。やる気があっていいのだけど、その分、こっちにも宿題をたくさーん出したりと、要求するものも多い。宿題だしすぎだよほんとに。
でも、先生いつも元気なかんじだけど、あんまり夜寝てないとか、疲れてそうなときがけっこうある。本人も認めていたけど、自分で自分の仕事を増やしてしまう性格らしい。この国の人にしてはめずらしく働き者。倒れないかなあとちょっと心配だ。
| ¡Hola! ¿Cómo tú 'ta? Me llamo Kosuke. Soy compañero de Jolitita y su guardian también. Todos los dias le defando del ataque de los dominicanos. ¡Chao! !Hola! Soy Nayuta,etsoy amigo,no no enamorado de Yoriko.hehhehhe-. ?Estan bien,jovenes? Aqui es muy divertido.Pero todavia no he bailado toristemente. sika-si!Nunca tengo progrema daze! Zettai voy a bailar y ablasar con mujeres bonitas! !tenga buena vida con migos en el mundo! Chao,chao jolitita: toy bombisma! gracias mis amigos, perdon mis mejores novios!! tamo pasando tiempo muy alegres y currientes juntos los dominicanos a veces me dicen fea o china pero mis novios siemple me tratan como señorita bonita. que feliz yo toy! |
今日は特に予定もなく、近所のガソリンスタンドにある、star martで勉強をしていた。日曜ということもあって、お客さんは私たち以外ほとんどいなかった。それにしても従業員多すぎ。あんまり働いてないし。いい意味でワークシェアリングの一種なんだろうか。。。
ママには、夕食前に帰るといっていたのだけど、夕飯ごろに帰ったときにはもうすでに家にはだれもいなかった。あとで聞いてみたら、私が夕食までに帰るって言ってたから、娘さん家のディナーに一緒に連れて行ってくれるつもりだったらしい。少し私の帰りを待っていたそうで、すごく悪いことをしたなあと反省した。ああ、せめて遅れるって電話しといたらよかった。。。
朝は、家族はみんな教会にいっちゃって暇だったので、アクロポリスっていう、サンシャイン池袋をちょっと小さくしたようなかんじのビルで本を読もうと出かけた。5階に、一人でも安全で、静かで、景色のいいスペースがあるのだ。周りには、バリバリパソコンで仕事してるお姉さんとか、居眠りしてるおばさんとか、ちょっと平和ぼけしたかんじ。私もとても、和やかに本を読んでたんだけど、周りの一人のお姉さんに、すれ違いざまに、「おべんとう!!」って叫ばれた。たぶん、日本語のはず。日本人だからとりあえずいってたのか。謎。
午後はドミカムでサントドミンゴから30分くらいのBoca Chicaという海岸にいった。Boca Chicaいきのバスはとてもローカルなエリアにあった。そこらじゅうでメレンゲがかかってて、頭にお菓子のかごを載せた物売りのおばちゃん達が行き来してたりととても、alegreな雰囲気。ここぞドミニカってかんじ。今すんでるところが青山だとしたら、ここは上野のアメ横・御徒町とかそんなかんじ。あやしい雰囲気がただよっていて、人間くさそうな場所だった。
BocaChica は地元の家族連れでにぎわっていた。海は工場の近くなので、そこまできれいではなかったけど、日が暮れていく様子はとても美しくて思わずため息が出た。やっぱり、私には海が必要だ。
Presidente を買って帰りのバスで、乾杯した。周りのお客さんはもちろん、運転手まで、飲んでて超ハイテンション。メレンゲ、ポルカ、バチャータ、サルサがガンガンにかかっててだれかは歌ったり、しゃべったり、さけんだり。うるさいけど、つっこみどころがたくさんある、味のある人たちだ。
4・17
はじめての先生なしのグアグア。スーパーsirenaの前のバス停でルートを調べていたら、一人の男性が話しかけてきた。警察の制服をきていて、ロドリゲスっていう名札もつけている。握手をしてきたので、やけに、近い人だなあと思ったが、親切そうだったので、道を聞いた。道をがんばってきいていたのだが、今度は、頼んでもいないのに、日本語ができるという人がどこからともなく現れた。いかにも、ジパングってかんじの人だった。曰く、「その方向なら、私、これからカロ・プブリコいく。だから、一緒いきましょう」と。カロ・プブリコってのは、乗り合いタクシーのことで、ドミニカ庶民にとって重要な交通手段であるとともに、強盗・レイプなど、犯罪の現場にもなっているので、便利ではあるが、私たちは利用するのを禁じられている。だから、その日本人がカロ・ぷぶりこを指定してくる時点でまず怪しいなって思った。日本人だから、安心して乗るだろうと思われたんだろうか、たぶん、最初に話しかけてきた警察官も、日本人も、周りのとりまき(?)もみんなぐるだったに違いない。おそるべし、ドミ犯。
グアグアにも無事にのり、連絡所へ。そしたら、たまたま、私のいく予定のプロジェクトの先輩隊員が全員集合していた。これから、ラベガの農業学校の学生達が作った有機野菜を日本人のシニアの人たちの会合に売りに行くところだったので、少しお手伝いをした。かぶ、きゅうり、セロリ、パクチーなどみるからにおいしそうな野菜が20~40ペソ(1ペソ4円弱)で並んでいる。ドミニカ人は有機野菜はもちろんのこと、野菜を食べる習慣はあまりないので、少しむずかしいかもしれないけど、日本人、日系人のネットワークをうまく使えば、すごく効果的な流通サイクルができるんじゃないかなあ。
夜は、お酒を飲みながら、活動について、任地についてなどいろんな話をきいた、私の同僚になる人は、私がくるのをかなり楽しみにしてはりきってるらしく、ちょっとプレッシャーだ。
ドミニカのスペイン語はかなりかわってる。っていうかもはやドミニカ語。SやESが抜けるのは当たり前で、北部の私がいくあたりは、LとRをIと読むらしい。恐るべしドミ語。
今日はクラスでドミニカ風あいさつを習った。たとえば、Toy bomba(ちょーいいかんじだぜ!!!)って意味だけど、bombaってなんだかかわいいよね。今の私、馬鹿のひとつおぼえみたいに、このフレーズ多用してます。
夜は、結婚したばかりの娘さんが遊びに来てた。ママと娘さんが話してたんだけど、全然入り込めなくてちょっと一人ぽつんとしてしまった。この速さとなまりに慣れる日はくるのだろうか。。。。。。。夕ごはんはごはんとfideo(そばめしみたいなかんじで使うパスタ)、牛肉とじゃがいもの煮物、オクラとトマトの煮物をいただいた。ママの手料理はいつも本当においしくて、幸せになる。
今日のランチはむしょうにカルボナーラが食べたくなったのでイタリアンのお店へ。とっても雰囲気のよいところ。カルボナーラももちろんおいしかったけど、一緒に頼んだマンゴージュースがほんとしぼりたてのものだけを使ったかんじでとってもおいしかった。
オリの後、両替したりしてちょっと時間があったので、ショッピングモールにいったらゲーセンがあって、日本で使われてたのが中古で回ってきたんだなあってかんじのゲームがたくさんあってちょっとうれしくなってしまった。しかも、ぷリクラまであってもちろん3人でとりました!
夕方は初の語学学校にて、ホームステイ先のfamiliaと対面。私の家はママとパパの2人暮らし。とても暖かい人たちでうまくやっていけそうな予感。夕ごはんはごはん、鶏肉、じゃがいも、にんじんなどが入ったスープを食べながら、ママといろんな話をした。まだしゃべれないので話を聞いてるだけだけど、これが一ヶ月後にはどうなることやら?
朝から、表敬訪問やオリエンテーション。人疲れしたのと、暑いのにずっとスーツでいなきゃならなかったのとで、夕方にすべてが終わった頃には、ぐったりだった。
ちょうど一休み、スーパーNationalのカフェコーナーで、お茶することにした。Chinolaっていう不思議な果物とpassion fruitのジュース。もちろん、頼むときは、『Sin azucal(砂糖なし)!!』で。おいしかったけど、砂糖なしっていうと、すっぱかったりして、両極端になるのはなぜ?
明日から、ホームステイになるので、同期達と夜を過ごすのも最期だね~ってことで、ジャンクフードではなく、ちょっと、雰囲気のいい、『Fritkot Belgian Snacks』っていうレストランでディナー。ドミニカを代表するビール『Presidente』(これでもかっていうくらい、凍っている)で、これからの前途を祝し、乾杯。
La chinaっていう、西洋人の間違った東洋人観が凝縮された、ハンバーガーをいただいた。タイ料理とかによく入ってる香草、曰く日本風(?)マヨネーズ、コチュジャンっぽいソースなどがフィーチャリングされてたような。しかも、認知不能な香辛料のせいで、かなり辛い。こう書いていると、すごい代物なかんじがするけど、私は、けっこうお気に入りだったりした。
ホテルに帰ってからも、みんなで、ドミニカのこれからのことや、語学訓練のことなど、いろんなことをしゃべった。他の二人はとってもfunkyなので、いつも、笑わされているし、同時に、二人にはことあるごとに、助けられている。明日から、語学学校などで会うことはあると思うけど、夜はばらばらのうちにいっちゃうんだよなあと考えると、少しさみしい。