6/23/2005

lo siento

先日、プロジェクトの農家グループのリーダーさんが亡くなった。まだ27歳だったのに、突然心臓発作で亡くなったそうだ。若手でやる気のある農家さんだっただけに、惜しまれてならない。今日葬儀があったので、私も参加させてもらった。沢山の人が参列しており、人望の厚さをうかがわせた。妹さんや近所の人々にあいさつをしたかったが、言うべき言葉がみつからず、ただ抱き合うことしかできなかった。

ミサでは、神父さんのお祈りと、ギターに合わせて歌が歌われた。歌の合間には、『 PAZ(平和を)』といいながらみんなでハグ。皆の思いが伝わってきて、じーんとした。

この国ではとにかく人がよく亡くなる。ちょっと前までぴんぴんしてたかと思ったら突然姿をみせなくなる。栄養の偏った食生活、アルコール、過度の労働、など原因は多い。個人的には、食生活の改善と有機野菜普及をリンクさせて、ドミニカ人の健康条件を改善できたらなーと思う。

6/22/2005

monte alto

今日は久々のハラバコアでの活動。研究所の車に便乗したため、ぎゅうぎゅうにつめて出発。まずは、有機肥料を作る材料を探しにハラバコア中をぐるぐるした。農家の人々が低コストで、また省労力で集められる材料でなければいけない。今回は見本をもらいにいったのだが、結局、コーヒーの皮、ミミズ堆肥、鶏糞、馬糞、木くずをもらうことに成功した。どんな肥料ができるのか、楽しみだ。

それが終わったあと、標高1053mにある研究所の試験場に向かった。ピーマン、トマト等に関して有機質肥料の施肥試験をする、ということでその試験の概要の説明をしてもらった後、点滴灌漑(少量の水を有効に作物に与えることができる灌漑方法)のホースの設置を行った。でもなかなかうまくいかなくて、ホースに必要以上に穴が開いてたり金具と合わなかったりで、えらい大仕事になった。結局全てを引き上げたのが夜の七時くらい。みんな疲れたみたいで、帰りにコルマドでビール買って飲んでたし。もちろん運転手も。雨が降って視界がかなり悪かったので、とてもどきどきした帰り道だった。

6/21/2005

calle de agricultura

今日からサレシアーノ農業学校というところで修行を始めた。もうクーラーのきいたオフィスでの仕事はうんざりだ。現場に出て、身体を動かしたい、そんな衝動がわきだした。学校がもう夏休みになったので、前学期の後片付けと来学期の準備を先輩隊員がするというのを聞きつけ、私も一緒に連れて行ってもらうことにした。担当地域での活動が忙しくなる前に、農業の実習経験も積んでおきたかった。先輩隊員にいろいろ教えてもらいながら、少しづつ感覚を取り戻しているところだ。

今日は遮光率80%の寒冷紗を張った畑での作業だった。そこではキューバで盛んなオルガノポニコ(地面にコンクリで枠を作り、そこに土を盛って畑を作る技術。都市など狭い土地でも簡単に畑を作り出すことができる)が導入されていた。作物の収穫が終わった部分を耕して、もみ殻、ボカシ肥、炭を土と馴染ませ、整地作業をした。基本的な作業であるが、先輩隊員のやった畑と私がやった畑をみると、その技術力には歴然とした差があった。当たり前ではあるが、その違いを身にしみて感じた。やはり私には修行が必要だ。先輩の作業の様子をみながら、話を聞きながら、技術を磨き、見聞を広げたい。

農作業の醍醐味、それは休憩時間にあるのかもしれない。皆で和みながら、敷地内に生えてるマンダリンを食べたり、マーガリン味のアイスを食べたり。今日はいい汗かいたなー。

6/20/2005

tiene gripe

最近、ドミニカ全土で、変な風邪が流行ってる。37度くらいの微熱が1週間~二週間続き、扁桃腺が腫れる。うちの日本人スタッフも次々とばたばた倒れている。私は、風邪を引かない人種なので、大丈夫だと思ってるけど、こっちでかかる病気はちょっと怖いので、予防できることはきちんとやらないとね。

こっちで風邪になったときは『te de limon』というレモンの薬を飲むとすっと直るっていわれている。日本でいったらはちみつレモンみたいなかんじ。

それにしてもおなかの調子が悪い。こっちにきてから、常にお腹の調子が悪い。いつも。もう慣れっこになっちゃったよ。でも自分お腹強いと思ってたので、結構ショック。

6/19/2005

sobreviviendo

ハラバコア、そこは私の活動先だが、今日はリゾートとしてのハラバコアを体験してみた。激流でのラフティング。私実はラフティングって、ディズニーランドのアトラクションのような感覚で考えていた。でも実際には死と常に隣り合わせの過酷なスポーツだったのだ。毎回死者がでるという噂を聞いたので、かなりびくびくしていた。ガイドさんはいたのだが、そこあたりの兄ちゃんってかんじだった。もし河に落ちたら、助けてくれるんだろうか。。。不安がかなりつのった。実際漕いでいて何回も「あ、死ぬかもー」と感じる瞬間があった。激流で人が飛んだりはねたり。私もかなり危険な思いをしたが、でも同時にとっても楽しくて、ずっとキャラキャラ笑っていた。こんなに心の底から「楽しいっ」って思ったのってなんか久しぶりなような気がした。忘れかけていたなにかを思い出したような気がする。またやりたいな。

6/18/2005

Hace mucho tiempo

任地にきて一ヶ月、いろんなことがありすぎた。

まず、私の家に変質者出没。一回目は、私が夜寝ようとして電気を消したそのときだ。窓のほうから男の人の声で「電気をつけろ、とにかく電気をつけろ。つけなきゃどうなるかわかってるのか」といっているのが聞こえた。暑いので当然のように窓をあけていたのだが、私の部屋は外に面しているので、外から見つかってしまったようだ。電気を消したその瞬間いわれたので、きっとスタンバイしていたのだろう。私はこわくて、しばらく固まってしまった。その日はけっきょく怖くて眠れなかった。

二回目は、お風呂の窓においておいたシャンプー・リンスが盗まれていた。一応窓に鉄格子はあるが、なにか細いものでたぐりよせてとったようだ。

三回目は、朝四時半ごろ。ガタガタという物音でおきた。ふと窓のほうをみてみると、なんと、内側からしか開かないはずの窓が開けられているではありませんか!またか!と思って、今度は、携帯していた防犯アラームを思いっきり鳴らして、同居してるイリスを叩き起こした。アラームのせいでヤツは逃げたようだが、明るくなってから窓の外をみてみたら、窓の網戸に穴が開いてて、さらに地面には、長時間滞在したとうかがえる食べかけのパンが投げてあった。もう怖いというよりも気持ち悪くていてもたってもいられなくなった。ただの泥棒か、それとも外国人女性だからおもしろがっているのか、それはわからない。

こんなこともあり、今はホテル暮らしの身である。新しい家が探せるまでの避難生活には、ちょっとよすぎるが、しょうがない。まさか赴任一ヶ月で家捜しをするとは思っても見なかった。こっちには不動産もないし、スペイン語もよく話せないしで、家捜しは困難を極めた。コルマド、薬局、スーパー、食堂など人が集まりそうなところに声をかけまくったり、職場の人のつながりをあたってもらったり。できることはやった。最終的には、職場の人の紹介で、オフィスから30秒くらい(近!)の家に決まりそうだ。民家の二階で、自分用のキッチン、バス、部屋がある。大家さんもいい人そうで、よかった。そして何よりも、家にはチワーワが四匹も!そのうち一匹は赤ちゃんだし!あとはセキュリティの面で事務所のチェックがOKになれば晴れて入居できる。とってもわくわく。

6/16/2005

abuerito rapido

この前メキシコのチャンネルの連ドラ(amarte asiというメロドラマ。ゴールデンなのにどろどろしている。現在ハマリ中。)をみた後、何気なくそのままニュースをみていた。そしたら、海外ニュースのコーナーになり、台湾のパンダなどのニュースが流れた。その後、今度は日本からのニュースってことで、どんな映像がくるんだろうってわくわくしていた。そしたら、なんか80歳くらいのおじいちゃんが競技場のトラックをカールルイスみたいにひたすら走ってる映像が流れた。会場は宮崎、それくらいしか情報がない。正味一分位。「えっ、それだけっ?」日本からわざわざ映像を送った意味を問いただしたくてたまらなかった。