5/30/2006

Dañado de nuevo


ラベガから、任地のハラバコアに行く道は二つある。
一方は飛ばせるし、だいぶ近道だけど、途中の川にかかっている橋が壊れやすい。雨がひとたび降るごとに形が変わる。バイク一台通れるかな、くらいのスレンダーさが自慢。
一方は交通量も割と多く、遠回りで時間がかかる。でも災害に巻き込まれる可能性が少ない。
ここんとこ、近道のほうが、村人達の手によって工事になっていたので、『立ち入り禁止』になっていた。でも、今日はその看板が取り払われていたので、通ろうと試みたら、なんと、2、3日の雨で、以前よりもひどい状況になってた。。もはや、バイクに乗ったままと通れる道なし。私は、バイクを降りて、壊れた橋の残骸を飛びながら、渡り、相方は、川をモトクロスのように、渡って、なんとか向こう岸に上陸。
橋にいくまでの道は、去年できたばかりで、超ぴかぴかアスファルトで新しいのに、橋がこんなだから、意味をなくしている。いまや、このかわいそうな道、牛さんが、堂々と闊歩していらっしゃる。よかったね、牛さん。

5/28/2006

Sangre dulce


今日の午後は、ハラバコアの試験圃場での作業。
トウモロコシ、ナス、トマト、スイカ、ヘチマ、メロン、コスモスを播種した。
最近、2週間位ハラバコアは雨が降っていなかったんだけど、作業を始めたとたんポツポツとしずくが。どしゃぶりになってくれればいいのに、ポツポツ。
久々の雨で、蚊さんたちが大喜び。ここぞとばかりにやってくる。気づいたら私の周りには、黒い影。蚊さんたちに、ショッカーのように囲まれていた。作業に集中しようとすればするほど、邪魔をする。
終わった時にはもう、腕がぼこぼこ。目の上も刺されてお岩さんみたい。
暑さはなんとか我慢できるけど、かゆさは無理。
ドミニカに来た当初、刺されすぎて以来、「跡は後にのこるから」と気を使っていたのに、もう慣れたし暑いから、とちょっとした油断がこんな結果を招いた。
ああ、後悔。
それにしても、夕立はひどかった。

5/27/2006

Ayudame-

最近、一週間お腹の調子が悪い。
水分の取りすぎか、食べものかなあ。
しくしく、ちくちくする。
助けて~。え~ん(涙)

5/25/2006

Forma dominicana


ドミニカ共和国に帰ってきたなーと思う瞬間
●水浴びをしようと蛇口をひねったら、水が出なかった時。
●毎日の停電。しかも、電気が戻った時に、街が喜びの拍手であふれる時。
●巡回先の村で砂糖:液体=6:4位のコーヒーが出されたとき。
●挨拶+ほっぺキスが普通に感じられたとき。
●コルマドから大音量のメレンゲが流れてきた時。
●職場のエロイサ母ちゃんに、「今日の昼の弁当何にする?」と注文をきかれた時。
●チーナチーナ攻撃。
●Coño, Diablo(英語のfuc○等にあたるスラング)を多様している人をみかけたとき。
●プラタノフリート(緑バナナあげたヤツ)を思わず頼んでしまった時。

5/24/2006

En realidad


メキシコから帰ってきて一週間。月曜から普通に仕事に復帰して、一週間。旅の余韻を抱えつつも、叙叙にドミニカに再適応し、現実に戻りつつある私。
旅は、やはり感動が多くていいですね。ドミニカに一年いてからいったっていうのもあって、全てが新鮮。メキシコにいる間も、日本というよりは、常にメキシコとドミニカを比べている自分がいた。メキシコが大好きになったけど、やっぱり自分の帰るところは、ドミニカだな、と考えたりもした。今まで、ドミニカが近すぎて、よく見えなかったのかも。これからは一歩ひいて冷静に考えられるかな。
メキシコの広大な大地、出会った世界中の温かい人たちのおかげで、少し前向きになったと思う。
今まで悩んでたことが、どうでもいいことのように思えてきたり、いい意味で、気分の転換になったと思う。
今度は、メキシコの南部の方にいってみたいな。

5/18/2006

DFño





朝七時のバスで、パツクアロを出発、移り変わる景色を眺めながら、旅の終わりを目前にちょっぴりセンチメンタルになる。
四時間後、山を抜けると、ビル、ビル、ビル。メキシコシティ砂漠が見えてきた。大都会。
メキシコシティは、超凶悪犯罪都市といわれていたので、おびえていた。しかし、最近、メキシコ政府は観光客の安全確保に大層力を入れているらしく、ソナロッサ等の繁華街では、盾を持って重装備をした警官が5メートルおきに立っていた。
これなら、安心かもしれないけど、逆にこっちがみられているような気がして少し窮屈だった。隊列を作って待機している部隊もあったりと、ものものしい雰囲気だった。ここまでしないと、治安維持が不可能なほど、危険な状態だったのか、と考えてしまった。
とにかくお腹がすいたので、ごはんを探しにホテルの周りをうろうろ。どこを歩いても、トイレの便器がやたら売ってる通り、バスタブ通り、電球通り、など秋葉原や神田界隈の雰囲気。見当のつけかたが悪かったんだろう。仮にかわいいのがあっても、持って帰るわけにいかないし。
そうこうしてる間に、バケツをひっくり返したような大雨。これは本格的に食べるところを探さないと、と最初に見つけた食堂に入ってみた。
『el cuadrilateno』というお店。店に入ると、他の店とは一味もふた味も違う、ってことがすぐわかった。店中に、メキシコプロレスのマスク、衣装、選手の写真などが飾ってある。最初は、プロレス好きのおっちゃんのコレクションなんだろう、って思ったら、なんとその店のオーナー自身が現役プロレス選手スーペルアストロだったのだ。日本へも、アントニオ猪木等と対戦するためにいったことがあるそうで、思い入れも強いそう。見るからに、強そう。
ごはんは、モーレソースで味付けした、豚スネ肉のサンドイッチ。初のモーレ。チョコレートソースとチリ、塩で味付けしてある。甘くてちょっぴりしょっぱい。表現しづらい味である。ネタにはなったかな。個人的には、チョコは隠し味程度でいいのかも、と思う。
オーナーのアストロさんには、ちゃっかりサイン&握手ももらって別れた。本当にたまたま入った店での偶然の出会いである。たぶん、もう一度いけ、といわれたら迷ってたどりつけないかもしれない。
メキシコシティは、この出来事だけで、十分意味があったといえるだろう。
メキシコシティは、本当、大きすぎるよ。

5/17/2006

Buena caputura





パツクアロ市街から乗り合いバスで、10分、パツクアロ湖の船着場に降り立った。
売店で、チリ&レモン味のわかさぎフライをつまんだ後、湖に浮かぶ、タラスコ人のハニツィオ島を目指し、ボートで出発。30分位して島に近づくと、港周辺では、マリポサ(蝶)と呼ばれる網で独特の漁をする漁師達の姿が見られた。しなやかな網さばきは、水上ショーの様相であった。
いよいよ上陸だ。小学校の修学旅行で初めて佐渡島に行ったときのような、わくわく具合だった。島は一周30分もあれば歩けてしまうような小さい島だ。でも小高い島の斜面には、小さい家が沢山ひしめき合って立っている。沖縄の離島のような雰囲気だ。
狭い小道を登り、頂上のモレーロスの像に登って下を見下ろすと、ハニツィオ島の全貌はもちろん、周辺に浮かぶ無人島、緑深い山々、遠くパツクアロの街並みまで見渡すことができた。
この島に住む人々は昔からの習慣を守り続けており、特に11月1日の死者の日には、女性達が墓地に詣で、墓に食べ物等を備えて祈り、夜を明かす。墓地には無数のろうそくが点り、神秘的な雰囲気が漂うのだそうだ。今度はぜひその日にゆっくりと滞在してみたい。
ボートで出会った、コロナビールの営業マン、グスタボの話によると、この島は、死者の日に限らず、結婚式、祭りなどイベントがあると、3~4日間くらいは、ずーっと飲み続けるそうで、コロナビールの大切なお得意様なのだそうだ。
お昼は、湖を見渡せる高台の食堂で。父ちゃんが朝にとった新鮮なわかさぎとマスをお母ちゃんがカリカリあつあつのフライにしてくれる。それを手作りのトルティージャに巻いて、ちょっぴりのチリとレモンを加えて食べる、とても家庭的な雰囲気のお昼ご飯、もう、あまりにも美味しくて言葉を失ってしまう。ここで食べたお魚が、メキシコで食べた数ある絶品の中で、一等賞だと私は思う。こんなに優しい味は久しぶりだ。もう一度たべたいなあ。
島の滞在は半日くらいだったけど、島の人の温かさを強く感じた。例えばイゲレータっていう珍しい木があったので、おじさんに「何に使うの?」とか気軽に話しかけたら、「日本に、持っていって植えなさい」と、蒔ききれないほどの種をくれたり。やっぱり、私は島が大好きだ。
余韻たっぷりのまま、島を離れ、パツクアロへ戻った。
今度は、周辺のキロガ、という村を目指した。パツクアロの礎を築いた、バスコ・デ・キロガ神父は、スペイン出身でありながら、先住民の人権に配慮し、先住民を搾取する植民地政策に対して、異議を唱えた人物であり、今でもなお、地元のインディヘナの人々に深く敬愛されている。
その話を知り、彼の名がついたキロガという街に強く惹かれた。街には、キロガ神父の大きな銅像があり、人々の思いが伝わってくる。彼はインディヘナの人々の民芸品育成にも力を注ぎ、ここキロガには、ミチョアカン州中の民芸品が豊富に集まってくる。
キロガを出た後、乗り合いバスで、10km下り、ツィンツンツァンというわら細工で有名な小さな村へ。ちょっぴり中国を思い起こさせるような町並み。この村は、スペインの征服以前は、タラスコ王国の中心だった。街のはずれには、四角形と円形を組み合わせたピラミッドが立っている。誰もいない林を抜け、ピラミッドを目指すころには、雷がなり始めて、神秘的な雰囲気を演出していた。
村の中心に戻り、パツクアロ行きのバスはまだあるのか、と一人の男性に聞いた。でも、聞いた人が悪かった。「来るよ。もうーすぐ、もうーすぐ」って。片手には、怪しいペットボトル。
ひっかかった。「バスが来るまでおじさん(ディエゴという名)が見張っててあげるよ」と、手に持っていたドリンクを勧められた。「何?」って聞いたら、「清涼飲料水だよー」と。確かにボトルはそう。でも、中身なんか色着いてるし!テキーラでも、ロンでもない、ブレンド酒。しかも超強い。ディエゴじいさんと、私、結局変わりばんこについで、一気合戦。じいさんの飲んだ後のさわやかないい顔に負けられないとがんばる。バスがなかなか来ず、結局ペットボトルは空に。。バスはそのあと着たけど、ディエゴじいさんのせいで、千鳥足ぎみにパツクアロへ。 
まあ、こんなのも、ひさしぶりにいいかもしれない。
パツクアロ最高だ。

5/16/2006

El lago al lado





早朝グアナフアトを出て、四時間後、ミチョアカン州の湖畔の町、パツクアロへ到着。このあたりパツクアロ湖や周辺の山々が織り成す豊かな自然と昔からの習慣を守り続けるインディヘナの人々の集落が広がっている。
まずは屋台で腹ごしらえ。salchicha(ランチョンミートみたいな肉)とアボカドのトルタ&グレープフルーツ生しぼりジュースをいただいた。素材がとても新鮮で美味しかった。市場は、グアナフアトのそれとはだいぶ雰囲気が違う。ここパツクアロは、観光客はあまりおらず、市場の客はもっぱら周辺の村から買出しに来るインディヘナの人々だ。民芸品などと並び、野菜、果物、近くの湖でとれたワカサギ、マスなどの魚介類、土着のハーブ類、などが所狭しと並び、カラフルな衣装に包まれた人々の熱気で、ムンムンとしていた。
パツクアロの街も、グアナフアトのように植民地時代の面影が残る建築が多いが、より民族性が色濃い印象を受けた。例えば住居の壁はレンガ、コンクリートであっても屋根は、瓦葺のところが多く、どこか、アジアを思い起こさせるような風景も多く見られ、時々懐かしさを覚えた。
パツクアロの街を軽く歩いた後、民芸品博物館にいってみた。ミチョアカン州は、民芸品の宝庫といわれており、湖の葦のわらを使ったわら細工、植物・昆虫の汁で色をつけた焼き物、豊富な森林資源を使った木工芸など、どれも目をみはるものばかりである。インディヘナの人々の伝統、感性には、本当に参ってしまう。街のいたるところ、道端、市場などで、縫い物、細工をしている人々に沢山出くわした。その人たちと直接おしゃべりをし、帰り際にはその人の作品の一つを大事に持ち帰る。商売、とかという枠を超えたやりとりに、とても温かみを覚えた。

5/15/2006

Camino a momia





昨夜の雷雨が嘘のような快晴。絶好のピクニック日和。
まず最初は、グアナフアト近郊のバレンシアーナ村を目指した。ホテルが市街からのバスの通り道になっていたので、バスが通るまで村まで、歩いて時間をかせぐことにした。
5km位歩いただろうか、それでもまだバスは通らない。「もう最後まで歩いてやる!」と思い、山道を間違え、転んだり、犬に吼えられつつも、なんとか到着。
村はひなびた感じでとても落ち着いている。中心のバレンシアーナ寺院からは、山々の美しい景色と町並みが見渡せた。たそがれている間に、いつのまにか、疲れも吹き飛んでしまった。この寺院の一部はグアナフアト大学の哲学科としてつかわれており、学生達が本を読んだり、議論をしたりする姿がみられた。さすが、文化と芸術の町、である。
帰りはおとなしくバスに乗り、市街へ。
次なる目的地はミイラ博物館。ミイラ博物館までも30分位坂道を歩いた。バスをどうやら間違えたらしい。でもそのおかげで、ローカルな街の雰囲気を堪能することができた。
博物間の中は狭くうすぐらーく、、ものものしい雰囲気で、私達の訪れを歓迎していた。
まず、angelitos(幼くして亡くなった子供達)の部屋へ。亡骸の写真とともに埋葬方法などが解説してあった。なくなった子供を抱いて写っている家族写真をみてると、本当に悲しい気分になってしまった。
次は、いよいよミイラの館へ。グアナフアトの独特な鉱物質によって、死体が腐植して骸骨にならずに、そのままミイラ化して保存されるのだ。
そこでは、軍服を着たままの男性、魔女狩りの犠牲になった女性、胎児など、老若男女、多種多様な人々が眠る、一つのコミュニティーのようだった。
それぞれのミイラは、髪の毛、ひげ、服などがそのまま残っていることもあり、死体とは思えないほど、リアリティーがあった。今にもガラスを突き破ってこちらに出てきそうなかんじ。
怖いのと、なんだか申し訳ないのとで、胸がいっぱいになり、あまりじっくりと見ることができなかった。私だったら死後は形が残らないほうがいいな。気づかれなくあの世で過ごせる。
ミイラの後は気分転換に、ピピラという独立運動の時に活躍したインディヘナの青年の像に上った。またもや雨が降ってきた。最近雨季めいてきたそうで、夕方はいつもこうなんだそう。チチャロンをつまみながら、ピピラ兄さんの像から「グアナフアトは、なんて趣があるのだろう」とたそがれていたのだけど、雨のため、おみやげ屋さんに入って尼やどり。
そこのおじさん曰く、銀産業が盛んなこともあり、日本の商社の人たちがよくきて、ネックレス、指輪なんかを沢山カードで買っていくそうな。「何人もの女の人に貢げるなんて日本人はなんて金持ちなんだ、うらやましい!オレなんてカミさんだけでいっぱいいっぱいなのに」と。おじさん、沢山稼いで愛人を持つのが夢なのだそうな。
グアナフアト最後の晩餐は、『Rincon del sabor」という緑あふれるトロピカルな雰囲気のレストランで、『シェフ特製ソースの鶏ステーキ』をオーダー。カリッカリの皮とジュージーミート、そして、味わい深い特製ソース。幸せをかみしめた。
ホテルに帰る途中、雷がはげしくなった。今夜は、雷&ミイラの残像のせいで、さらなる恐怖が。またもや、毛布にくるまって早く寝た。

5/14/2006

campo de rana





朝5時起床、飛行機で中央高原の町、グアナファトへ。今まで旅した荒涼とした大地が広がる北部と極めて対照的な風景が広がる。町全体がユネスコ世界遺産に登録されている、美しいコロニアル都市である。
まず、グアナフアト訪問の目的の一つ『お城ホテル castillo santa cecilia』への宿泊。銀採掘で富を得た富豪が植民地時代に私邸として建設したお城が、現在もなおその形を留め、ホテルとして利用されている。自分の部屋の4倍はありそうな部屋に通された。
「こんなの、博物館でみたことある!」貴婦人の部屋だった。鎧人形なんかもあり雰囲気満天で、お姫様気分が高まる。
姫はお腹がすいたので、下界まで降りてみることにした。てくてく歩くこと、20分。庶民の活気あふれる、市場にたどりついた。「コース料理でも頼もうかしら」と、貴婦人が腕を振るう屋台へ。コンソメスープ、トルティージャ、ケサディータ、などをいただいた。やっぱり屋台のお料理が一番美味しいわ、と認識した次第。
イダルゴ市場では、所狭しと民芸品が並ぶ。食べ物も、チチャロン(豚皮カリカリアゲ)、タコス、トルティージャ、チリフライ)と見るからに美味しそう。ドミニカではしょっちゅうお腹を壊していたが、「屋台の味こそ、本場の味」と思うので、やめられない。「おいしいもののためなら、ちょっとくらい具合悪くなってもいいや」なんて思ってしまう。
石畳、レンガづくりのロマンティックな町並みは、パリ、ローマなどヨーロッパの街を連想させ、まるで映画の1シーンの中にいるような錯覚に陥ってしまう。
街一番のときめきスポット、『callejon del beso(口づけの小道)』へ。道向かいに住む男女が窓越しに口付けを交わせるほど、細い小道であることから、その名がついた。グアナファトは、山の斜面に立てられた家が多く、このような、雰囲気のある細い小道に沢山出くわす。おじいさんが煙草をふかしていたり、学生が本を読んでいたり、ちびっこがサッカーをしていたり、何気ない日常の光景がとても絵になる素敵な街だ。音楽、芸術が生活の一部として根付いているのも、この街の魅力である。
市内はバスが巡回していてとても便利。
バスに乗っていると、一人の男の子が入ってきた。首にはカードをぶら下げて(たぶん許可制)、乗客全員にとりあえず、チョコを配ってまわった。学校に行くお金がなくて、こうやって、資金を集めているそうだ。もちろんいらなければチョコはちゃんと回収してくれる。グアナファトに限らずメキシコのいたるところで、バスなどで資金集めをしている子に沢山遭遇した。
夕方からどしゃぶりになった。雨宿りをしていたら、鼓笛バンドが通りをやってきた。雨宿り仲間のおばさん曰く、今は、ちょうど先祖をまつるイベントの最中なのだそうだ。キリスト像(みこしのよう)を担ぐ屈強な男達が通過した後、無数のデコレートしたタクシーが通り過ぎ、そのタクシーの周りには配ってるお菓子をもらおう、と人だかりができていた。
しばらく雨宿りをしながら、バンドの音楽に聞き入っていた。
ホテルに帰るとますます雨脚が強くなり、雷鳴が聞こえるようになった。雰囲気はヨーロッパの怪談、そのものだ。うすぐらーい洋館にひとりぼっち。テレビも砂嵐。聞こえるのは雷雨の音のみ。
あまりもおどろおどろしかったので、毛布にくるまって早く寝た。

5/13/2006

No la encontre






チワワでは、博物館めいたものには行かなかった。政庁舎の壁画(独立運動時の様子を描写)位。ウエスタンな雰囲気と人の温かさ、これを感じることができて十分な気がした。

さすが、チワワ砂漠、乾燥する、すごく。洗濯しても即乾。紫外線も強くて目が焼けそう。

日曜なので、ありとあらゆる建物が閉まっていた。街も人通りまばらで、静まり返っていた。

午前中、市場などをのぞいた後、チワワっ子太鼓判の『プラザ・デル・ソル』へ。アメリカによくあるようなショッピングモール。専門店街に、大型スーパーと米系デパート3軒、映画館、フードコートなどが入っている。だだっぴろく、どこからみたらよいのやらって。

まず、本屋さんをチェック。品揃えもなかなか豊富。

『Hierbolaria Mexicana(メキシコ薬用植物百科)』

『Cocina Mexicana(メキシカン料理の本。写真がvividで楽しい)』

『メキシコマップ』をゲット。

一応一通り様子をみてみた。服、CD,雑貨等いきなり大量に多様なものを目の当たりにすると、かえって、買う前にお腹いっぱいになってしまう。ほしいけど、今買ってもしょうがないな、とあきらめたりして。

ふと、ウィンドーショッピング中、あるイベントを思いついた。

『メキシコのヘアサロンを体験する』という!

ハイカラなかんじの(日本にありそうな)サロンがあったので、入店。美容師はみんな男の人。ちょっとオネエサマっぽいしゃべり方。メキシコでは、美容師は男の視点で見た美と女の視点で見た美、両方を体現できる人でなければならないのか。

和やかな雰囲気の中、「メキシコで流行ってる髪形にしてね、ちなみに髪の量が多いからすいてよ」と注文。ちょっとビクビクしていたが、はじめちゃったものはしょうがない。全てを託した。

でも、メキシコでは、『すく』という技術はちゃんとあり、かみそりやすきばさみも使ってすいてくれたのには感動。断髪式みたい。一年の重みが床に散らばる。。。少々雑ではあるけれど、だいぶ軽くなり、まずまずの仕上がり。それに、確かにこんなヘアスタイルの人、メキシコにいたような。。。

すがすがしい気持ちで、バスに乗り、チワワのダウンタウンに向かった。

夕ご飯はホテル近くの、『caballo roco(狂った馬)』という食堂へ。まあ、牛じゃないから、いっかーと思った。チワワ肉を食べずして、帰れますまい。

comida corrida(定食)をたのんだ。牛テールスープ、トルティージャ、ケサディータ(トルティージャにチーズをはさんだもの)、フリホーレス、燻製チワワ肉ステーキ、サラダ、デザートの手作りプリン。ボリューム満点。チワワ肉のジューシーで、味わい深かったこと。。。!

チワワ訪問のメイン目的、本場のチワワちゃんに出会うことはできなかった。町中を一生懸命さがしたんだけど、犬すらあんまりいなかった。乾燥してるところだから、チワワちゃんは生きられないのかなあ。会えなくてちょっぴりショック。

5/12/2006

chihuahua chan





旅仲間に見送られ、バスでチワワを目指す。宿でであったメキシコ人(チワワ出身、シカゴ在住)セシリアと道中をともにすることに。メキシコ人は本当、真から暖かい人が多い。垣根を全然作らない。特に同世代の女の子と友達になれるってすごく嬉しい。

彼女はシカゴでスペイン語、文化人類学を教えてる。メキシコの各地方に伝わる伝統文化や、ラテンアメリカ諸国の秘密結社、密教などに詳しく、様々なことを教えてもらった。

日本にも旅行にいったことがあるそうで、「明治神宮にいった帰りにコスプレした秋葉系の人がいて写真とらせてくれたんだけど、一銭もお金を要求しなかったのよ!」と興奮ぎみに話してくれた。彼女とは、世界でどの国の男性が一番誠実か、という話にもなり、彼女の結論では、「メキシコ人はかっこいい人もいるけど、働かないし、自己中だからダメ。スペイン人が一番!」と。まあ、スペイン人の旦那とラブラブの模様。

チワワの旅情報も入手。といっても彼女曰く、「チワワはなーんも見るとこない」そう。でも、「Garciaという店には下着が激安で売ってる」とか、民芸品マーケットの場所など、使える情報も教えてくれた。

チワワを一人で旅するつもり、っていったら、彼女が「今夜、ヒッピーの友達とパーティーするんだけど、こない?」って。でも、その友達マリファやっていて、場所もスラムの方であるらしく、断ってしまった。クリール~チワワ間は、奥地のほうで、マリファを沢山栽培して、近隣都市、アメリカなどに出しているそうだ。「この辺は何作ってるの?」っていう素朴な質問に対する答え。「マリファばっかり。」

チワワにつき、町を散策。やたらとカウボーイハットかぶった人が目に付く。テキサスまで車で四時間、メキシコ独立革命の父、パンチョヒージャの故郷、チワワちゃんのゆかりの地、ここは映画でみたことがあるような西部劇の雰囲気が漂っている。

町のちょっと裏通りに入ると、セシリアの話に出てきた、誕生日のPinata(はりぼての人形)を飾るお菓子屋さんが並んでいる一角があった。メキシコでは、子供の誕生日のときにポケモン、スパイダーなど旬のキャラクターのはりぼてを作り、その中をキャンディー、チョコなどのお菓子でいっぱいにする。誕生日の子はその人形をせーので上から叩いて割り、飛び出したお菓子をみんなで分け合う。メキシコに伝わる楽しい習慣だ。

ちょっと遅い昼ご飯は、café lizy というお店で。Torta de chuletaを頼んだだけなのに、ナチョがでてきて、サラダバーまでついてきた。二人で食べるのがちょうどいい量だった。満腹満腹。

水を買おうと入ったスーパーでも出会いがあった。レジで前に並んでいたファミリー。「留守番してる上の子は、あんたにそっくりなのよ。どっから来たの?」と話しかけてきた。メキシコでは、なじみのある顔が多く、よく、「うちの嫁にそっくりだ」とか、よく言われる。そこで出会った家族とは、しばらく楽しく立ち話をし、別れた。

チワワの人はなんで、こんなに温かい人が多いのだろう。厳しい砂漠は、人をやさしくするのか。。。

5/11/2006

Cansadita





パンケーキを食べた後、いよいよ、民宿が運営する、クリール郊外の湯けむりツアーへ。参加者、valerie,(USA) tomo(Japan), charrot y su novio( German), dora(Mexico) とインターナショナルな顔ぶれ。ガイドに、「おまえが説明しろ」と言われ、怪しいスペイン語と英語を駆使して通訳。本当に英語が出てこない、重症かも。
クリールから15kmくらい奥に入ったところで車を降ろされ、一同は湯けむり目指して崖を下る。足が少しガクガクになるが、仲間としゃべりながら、和気藹々と40分くらい下ると温泉が見えてきた。一見プールみたいだけど、お湯は自然に湧き出ていて、コンクリートでそれをせきとめ保護している。ぬるめだけど、大自然の中でのーんびりと湯につかれば、「い・い・湯だな~♪」なんて歌も歌いたくなってしまう。つかったまま寝てしまいたい気分だった。
しばらくつかった後、下流の岩場まで出てみようということになり、裸足で岩岩を渡り歩く。下流はそこまで暖かくなかったが、天然の温泉としてまた別の趣があった。
しかし、その帰り、アクシデントは起こった。水場から上の岩場が人一人分くらいの高さがあって、ギリギリジャンプしてあがれそうだったので、トライ。でも、ファイト一発できなくて、下の水場に転落。少々すりむいたが、一命はとりとめる。マキロンと絆創膏をくれたTomo,手当てをしてくれたDora,本当にありがとう!
1,5時間位極楽気分を味わった後、そこには地獄が待っていた。帰りは上り坂。そのことを半ば忘れていた。温泉につかって脱力感いっぱいの中、60度位の勾配の坂道を一時間半くらいひたすら登り続けた。次第に無口に。。。いつまでたっても頂上がみえない。見えるのは坂道と横に広がる雄大な渓谷。景色は最高。でも死ぬかと思った。トレーニングなしでフルマラソン走りきったかんじ。生きててよかった。心臓のドキドキは2日たってもなかなか収まらなかった。
その後、クリールを一望できる丘に登るつもりだったけど、さすがに、no energy。何とかおじさんのレストランでChile relleno(トウガラシの肉詰めにたいなかんじ)とLimonadaを頼んだ。帰った後はバタンキュー。
夕飯はサボテンとひき肉の炒め、キャベツ炒め、ご飯をいただいた。その後、アイルランド人、イギリス人など今日知り合った仲間も加わり、何とかおじさんのバーへ。ここでもビール&テキーラ。もちろん一気。Nortenoを聞きながら、楽しいひとときを過ごした。でも、心臓が苦しかったので、一杯だけにした。でも、それでも回ったこと、回ったこと。

5/10/2006

Desde ventana del mundo





今回のメインイベント、チワワ太平洋横断鉄道の旅。朝五時にホテルを出て、鉄道駅へ。心配だったチケットも無事ゲット。一年ぶりの電車にドキドキ。
荒野→集落→山脈と次々に移り変わる景色から、目が離せなかった。途中、ディビサデロ駅で休憩。
なんといってもここでの目玉は、コッパーキャニオンの眺め。グランドキャニオンの4倍もの規模を誇る雄大な渓谷は、大自然の厳しさを物語っていた。上から見下ろしたら、恐怖で思わず足がすくんでしまった。自然の偉大な力に圧倒された。自分も含めた人間そのものがとってもちっぽけな存在に思えてきた。
そのときに食べた赤色タコス、じゃがいもが入ってて美味しかった。
8時間くらい、列車に乗った後、途中下車、まるで時が止まったようなのどかな高原の町、クリールへ。ここは、インディヘナのタラウマラ人の里であり、カラフルな民族衣装をまとった人々をよくみかけた。
タラウマラ民芸博物館では、彼らの古来から先祖代々受け継がれている独自の農法、医療、生活習慣などが解説されていた。いくら、科学が進歩しても、彼らには、西洋文化には太刀打ちできない、すばらしい伝統が根付いているんだなあ、と感じた。
クリールでは、カサマルガリータという、民宿に泊まった。夕ご飯は、ダイニングで、世界中の旅仲間と。バイクで二日半かけてやってきた、カナダ人夫妻、月と一緒に旅をしているヒッピーのアメリカ人等、個性あふれる面々。
タコス+アベーナ+タラウマラティーの美味しい夕食のあと、「町にアイスを食べに行こう!」ということになり、みんなでぞろぞろと外出。「レモンは皮が入っててなかなか美味しかったけど、ちょっと甘いよね」とうんちくをたれながら寄宿。
デザートを食べたところで、「寝るにはまだ早い、夜はこれから!」ということで、Valerie、Tomoと三人でバーへ。メキシコでは一般的なのか、ビールを一本頼んだらテキーラ一杯サービス。でも、テキーラだけを頼もうとすると、ビールの2倍の値段する。テキーラはビールを売り込むための道具なのか?
三人で、学校のこととか、メキシコ旅情報などいろんなことを話した。かなり楽しく、ハッピーになってしまった。ちなみに、Indio, 2XX, pasifico, solなどの代表的な銘柄があるけど、旅仲間では、solが一番のよう。

5/09/2006

Pasionada





サントドミンゴの空港、なんだか帰国するみたいで、センチメンタル。チェックインをすませ、いよいよ出国。雲を抜け、眼下に広がる景色に超興奮。意外とドミニカって緑が多いものだ。久しぶりにみる、一面の白い世界、南極を旅しているような気分がした。朝の光を浴びて、金色に光る雲の海は、神秘的で、趣があった。
途中、ハイチ、キューバ、バハマなどを通った。ずっと雲の下をみていた「バハマの海はとびきりきれい。いつかいってみたいな」、なんて思いながら。
第一の経由地、マイアミへ。空から見たら、超計画都市。家がブロックみたいで、ロボットタウンみたい。久々に見る大都会に、かなり気分が高まる。
でも、アメリカで経由すべきじゃないかも。入国審査のブース、長蛇の列。テロ対策からか、かなり審査が厳しいよう。両手指のデジタル指紋、カメラ撮影、などなど。一時間くらい待ったかも。しかも、少し迷ったので、きりぎりにゲートへ。
そこで、イタリア人のピエトロおじさんと出会った。退職後、メキシコに移住したそうだ。飛行機の中で旅行情報、仕事のことなど色んな話をした。「あんたは芸者か?」って、まず質問された。今、芸者の女の人が書いた本がはやってるからだろうか。日本のイメージ=芸者なのかも。でも、違うよ、おじさん、芸者は、スペシャリストなんだって。
メキシコシティは、超過密。さすが、200万住んでるだけあるわ。なんか、上からみたら、黒い雲かかってるし、空気悪そう。空港のすぐ近くまで街があるから、大旋回。ちょっと具合が悪くなった。
MEX空港広すぎ。迷って、結局15分くらいしか、自由時間とれず。Taco Inn ってファーストフードで、sopa de tortilla(トマトスープにカリカリのトルティージャが浮かんでる。お好みで、アボカド、チーズ、チチャロン、魚の皮?などを乗せる。)長旅後のお腹にとても優しい。ちなみに寿司バーもあったけど、高すぎ。
空港でみかける人も、ドミニカ人とは、全く異なる。男性においては特に。メスティソの割合が多いからかもしれないが、他人なかんじがしない。
またまた、飛行機を乗り換えて、最初の目的地、メキシコ、カリフォルニア湾岸のロスモチスという町へ。太平洋上を飛び、いきなり現れる陸地。陸、というよりも、海に沈みかけた山々というべきか。木星など、他の惑星に接近しているような気分がした。山々を過ぎると、一面の荒野。その中から、いきなり滑走路が現れる。壮大な景色に圧倒された。
見るもの全てが、新しいような、ちょっと古いような、ちょっとタイムスリップした気分。
空港から、タクシーで、30分くらいすると、トウモロコシ、サトウキビ、トマト、カボチャなど畑が現れ、ロスモチスの街が見えてきた。夜に着いたので、あまり街歩きできなかったのは残念だけど、落ち着いたかんじの、でもコンビニ(OXXO)もあって、便利な街だった。今度きたときは、港を散歩したり、魚介類を堪能しなくてはね。